家族間殺人は企業の責に非ず


亀井大臣が経団連会長との会談で、家族親族間で起こる殺人事件が「増えている」事に、大企業が終身雇用制度を捨てて従業員や下請け企業を大切にしなくなった事が強く影響しているとし、体質を改めると共に更には内部留保を吐き出す様に迫ったと言う。

御手洗会長経団連会長は、それには株主総会の承認が必要になるため、貯金をおろす様な簡単な話ではないと真摯に受け答えをしたというから面白い。
まるで居酒屋でのサラリーマンのボヤキの様な亀井氏のこの考えに関してYahoo!投票が行った賛否に関するアンケートの結果が、反対が上回りはしたものの賛成との差が僅かだったと言うから驚きである。
家族間殺人が本当に増えているのか否か、又亀井氏がいつの時代と比べてその論拠としているのか私は知らないが、果たして企業の経営方針がどれだけ人々の心根に影響し得るものだろうか。

実は私は、そもそも殺人事件が起こる背景には、今の日本人にとって死が身近な出来事で無くなっている事が影響していると常々思っている。暴力が溢れるマンガやアニメの世界ではなく、本来は最も身近な死とは例えば子供にとっては一般的には祖父母のそれである。病いや老いによって如何に人が死に至るのかを知る機会が有るにもかかわらす、核家族化がそれを阻害しているのである。

そしてその核家族化は、半世紀の長きにわたって自民党が行って来た施策が、故郷の自然を公共工事を獲得する為のキャンパスにし続けてきた事や、また地方に住む人々の中央指向と、より良いスマートな仕事や暮らしと言う幻想を求めて都市圏に若年層が集中した事によってもたらされたものではないか。
今なお払拭される事のない一次産業の将来の見通しに対する漠然とした不安もその原因である事は言うまでもないが、この事自体が悪化をたどる食糧自給率や食の安全が度々脅かされると言う形で、次々に問題を露呈して更に人々の不安を増幅させている。

つまり、仮に家族間殺人が増えているとすれば、それは政治によるミスリードにこそ原因を追求すべきであり、その責を企業の経営方針に帰するのは筋違いだと思う訳である。

先に触れたように宗教も、地方の健全な発展や自治も、食糧生産の基盤も、そして家族の在り方までもが歪になってしまった日本はどこに向かうのだろうか。