2012-12-01から1ヶ月間の記事一覧

オガウエガイキハチムモモモン

故筑紫哲也氏の番組を見て涙したことがある。各国を歴訪した江戸末期の外国の外交官の記録の中に「この国の人々は、貧しくとも一様に礼儀正しく勤勉で、家々の鍵も掛っていない。何よりこれ程朗らかな子供の笑顔を初めて見た」との、日本に関する記述があっ…

朽ちゆく宝

友人から、那覇のホームセンターにサバニが置いてあるとの情報を貰った私は、早速仕事帰りに立ち寄ってみる。よく見ると件の舟はサバニではなく、大正時代に和船の長所も取り入れて考案された、奄美大島のアイノコだった。サバニは他の地域の海事文化に強い…

飽食の島

貧乏学生だった私にとっての当時の最高の贅沢は、辻にあったステーキハウスの定食と、海人修行をしていた辺戸名の食堂のボリューム満点の肉そばだった。それから20数余年。カレーライスにライスを注文する程の食欲は遠い昔に失ってしまい、人様より少し多め…

ナイチャーの孤独

学生時代、与那原の酒場街で乱闘騒ぎを起こした後に、酒に潰れてスナックのソファーで寝てしまった事がある。翌朝一人目覚めた私は「戸締りして帰って下さい」との書き置きが添えられた鍵を目にして驚いたものだ。若気の至りの反省と共に、おおらかで優しい…

貝のアンダースー

干潮で露出した岩や石ころだらけの海岸を歩く。岩のあちこちには、ミナ(長崎の方言名、蜷貝やシッタカとも呼ぶ)が沢山へばりついていて、一つずつ持って来た篭に入れていく。やがて夕暮れを迎えようとする海辺に、穏やかに寄せる波の音と、老いた母や子供…

ミーカガンの泡

「ミーカガンが出来たよ、お風呂で試そう」と、下の娘との入浴。私の手には加工したてのミーカガン。レースと言う形でサバニに乗って6年、今までは興味がなかった木材の名前に触れる機会が増える。ミーカガンの材料はモンパノキ、サバニの船体は飫肥杉、フン…

帆掛けサバニの魅力

サバニ帆漕レースのスタートである慶良間の島々は、どんな言葉によっても表現し尽くせない美しい海を湛え、そのエメラルドや砂浜の白と対局をなす黒い船体や赤茶けた帆は、この世の物と思えない程の存在感をサバニに与えている。沖縄の海辺に普遍的に存在し…

地域のブランディング

サバニを通じて知り合った米国の船大工・和船研究家のブルック氏曰く、「数ある和船の中でも沖縄のサバニだけが、レクレーション用途で脚光を浴びる事によって復活を果たした幸運な舟である」と言う。日本各地で、乗り手も作り手も途絶えてしまった和船を見…

海辺の暮らし

縁あって海人写真家古谷千佳子氏の作品をじっくり見る機会を得た。氏が描き出す銀海の世界には紛れも無く、私の結婚式に参列する約束を果たさぬままこの世を去った、大好きだった漁師の祖父の姿があった。 少年時代の夏の殆どを過ごした長崎県壱岐での夜、祖…

変わりゆく街並

琉球大卒業後の十数年間は東京で仕事に忙殺され沖縄から遠ざかっていた為、その間の中南部の街の変わり様には後に随分と驚かされ、道の変化には戸惑わされた。かつて入り組んだ裏路地にあった鄙びたおでん屋がいつの間にか大きな通りに面していたり、学生時…

海洋民族の記憶

今日、久末五勇士による130Kmに及ぶ決死の航海の話を耳にする機会は余り無い。帆掛けサバニを求め現地の友人と宮古島を巡ったある夏の日、立寄った久松漁港で次の話を聞いた。 伊原間までの先人の航海が、言い伝えられた時間では不可能だとする意見に反論し…

ウチナージラー

大学での講義中、西語の教諭はどことなくラテン系な、英語の教諭は英国紳士的な風貌だと感じていた。環境や生活が人の顔を作るという事は多分にある事に違いない。沖縄を離れ四半世紀経た私の顔はナイチャーそのもの、県出身の彫の深い紅顔の美少年だった友…

金城哲夫

琉球大学を卒業した後も俄には沖縄を去り難く、辺戸名の漁師の親方に頼み込んで漁の修業に打ち込んだ時期がある。山原の港町での毎日はそれ自体がエキサイティングなダイビング漁を基調とし、且つ毎夜の熱く激しい酒の席。長崎の漁師だった祖父の影響から海…