二面性とリーダの資質

一方的な視点だけでは物事の本質を理解することは出来ない。物事に対する賛成や反対といった自らの立ち位置や観点、思惑、構想、そして人生観が変われば、単純だと考えていた事象も一気に複雑な様相を呈する事になる。天下り禁止法案に対する官僚の露骨な造反や接続詞発言には、もはや怒りさえも通り越して気持ち悪さしか感じないのだが、もしかすると彼らは彼らなりの愛国心に立脚した考えを持ち、それに基づいて行動しているつもりなのかもしれない。

従って、特に私の様な素人がろくに調べもしないで物を言うべきでないのかもしれないが、同時に物を言わせない事こそが官僚の狙いではないかと思うのである。

霞ヶ関埋蔵金、推し量ることが出来ない国としての事情があるのだろう、が、国民も馬鹿ではない。直ちにそれを雇用対策に廻せとか、国民に分配しろ等と短絡的な考えを持つ事も無いが、その存在さえも知らない事を国民は良しとすべきなのだろうか。

先日のオバマ大統領の就任式典を最後まで見たと言う友人知人は多く、あまたのブログからは概ね好意的な感想や意見が一気にネットワークに流れ出た。会場に訪れた200万人以上の市民のみならず、世界中のテレビの前で彼の演説を注視していた人間の数はどれ位になるのか。
新大統領は、アメリカの危機的状況を強調し、だから「われわれ国民全て」が責任と勇気を持って立ち向かい克服しないといけない、と呼びかけた。自らを世界の警察と称する様な自己中心的なアメリカの国体を問題視する声は有るかもしれないが、解りやすい言葉で明瞭に主旨を伝える演説は潔くまた聴衆を魅了する力を持っている。それは複雑な国際政治や国内問題の二面性を国民にも出来る限り伝えようとする態度が醸造したものだ。

一方、我が国ほど政治のリーダを尊敬しない国が他に有るか否かは解らないが、その遠因は自らがリーダを選べない事に有るのかもしれない。恐らく数千万人がリアルタイムで聞き入ったオバマ大統領の求心力は彼のリーダーの資質そのものよりもむしろ、リーダを育てる土壌が成せる技なのかもしれない。