天使が舞い降りた日


このエントリーは極めて私的な内容である事、予めお詫び致します。

私がまだハイハイをしていた60年代後半の事だと思いますが、五木寛之の「青年は荒野をめざす」という本が出版されました。同書は当時の若者のバイブルだったと聞いた事もあります。今は手元にその本は残っていませんが、ジャズトランペット吹きの日本の青年「ジュン」がシベリア鉄道に揺られてヨーロッパを旅しながら、音楽やセックスや放浪、そして人生は?と問いかける様な内容だったと記憶しています。同じく五木氏の「海を見ていたジョニー」同様に、学生時代の思い出とともに今でも蘇って来る本です。

その影響を受けてバックパックを担いでヨーロッパを旅行するスタイルが流行したと、実際にヨーロッパ在住の日本人に聞いた事がありますが、仮にそれが70年代の事だとすると、私はそのブームから実に15年も遅れて、しかも同じ様なスタイルで放浪の旅に旅立った事になります。
目的地はスペイン。ジュンはトランペットでしたが私はギターが旅の友でした。予定の1年間を半年程延長して帰国した時には、月並みな言い方ではありますが、日本を外から見る事が出来たが故に、日本を非常に強く意識し、その時の経験は今でも日本人としての生き方や人間としての幸せを考える時の土台を形成している様な気がします。今では背広とネクタイでせっせと仕事に通う毎日でアルペジオもままならなずギタリストとしての陰も形もありませんが、ロックやジャズだけではなく、フラメンコやクラシックに傾倒しているのも当時の影響なのでしょう。

私が旅の最終の居住地に選んだのはフラメンコ、そしてギターと言う楽器が日常に溶込んでいる街、スペイン南部のアンダルシア地方の中心、セビリア。そこで出会ったのが当時まだ5歳のJORGEでした。日本人の父とスペイン人の母の間に産まれた3人兄弟の真ん中の彼は、日本からスペインに移り住んで1年程経ったばかりで、ほんの少したどたどしい日本語と十分に流暢なスペイン語を話す可愛い男の子でしたが、屈託の無い笑顔の裏に、他の二人の姉弟同様に少し暗い陰がある事が見える様になるまでにさほど時間を要しなかったのは、久しぶりに知り合いになった日本人の私によっぽど心を開いてくれていたからでしょう。よく見ると、彼らの小さな体には、頭にも、無数の傷痕があります。彼らは、最近も連日の様にニュースを賑わす幼児虐待の犠牲者だったのです。恐らく私と同じ本に影響を受けて同じ様にバックパックを担いで同じ場所に辿り着いた、画家であり、そしてそれ以上に畜生である父親は、暴力だけで飽き足りずに自分の息子二人に万引きを強要し、長女に対しては性的暴行の兆しさえあったと聞きます。私が彼らと出会ったその時、母親は日本での生活の疲れから心身ともに疲弊し既に亡くなった直後でした。

それから15年が経過した2000年、結婚してから6年後に初めて家内を連れて新婚旅行に行く事になり、その目的地に選んだのがセビリアでした。すっかり大きくなった彼らは、当時私が身を切る思いでなけなしのお金をはたいてクリスマスにプレゼントしたおもちゃの事や、一緒に行った彼らのおばあちゃんの家への旅行の事など当時の事を実に良く憶えていて、驚きまた心から嬉しく思った物です。同時に日本語はすっかり失ってしまっていて、わずかに残っていた言葉が「カレーライス」と「ラーメン」、そして得意げに私に描いてくれた絵が父親の血なのか大変上手だったのが、一方ではもの悲しくも感じさせられました。

その後、成人した彼らは兄弟で何度か日本を訪れてくれ、私の念願の家内の手作りカレーライスを彼らにふるまう事が出来た時はお互いに何とも言葉では言い尽くせない幸せを共有出来たと思います。そして当時も今も一番私を慕ってくれていたJORGEとは、いつか日本で働き自分が産まれた国をもっと知りたいという彼の願いをどの様な形で実現するか、そんな将来の話をし始めて1年程経った今年の夏に、軽微な医療ミスが原因の彼の訃報を聞いたのです。

常々、彼らは一生分の苦しみや悲しみを既に子供の時に経験し終わっている筈だと考えていた私は、やり切れなさに涙を抑える事も侭ならず、時に声を上げて泣きました。残された二人の兄弟の悲しみは想像だに出来ません。JORGEの弟が、メッセンジャによるチャットで私に彼の死を告げる時に、地球の裏側でキーボードを打ちながら泣いているのが分るのです。
私は私で、仕事で東京の街中を移動する度に、「あ、ここは今度JORGEを連れてこようと思っていた所だ」などと、普段から一日に何度もJORGEの事を考えていた事を痛感しました。丁度、今の私の子供たちを思う様に、昔のJORGE達の事を重ね合わせていたのかもしれません。

天からの使いが舞い降りたのは、そんな悲しみの中の出来事でした。

展示会場でのトレードショウの仕事を終えて事務所に戻る途中の駅、夏の真っ盛りのうだる様な暑さと湿気の中で、展示会で何時間も立ち続けていた事もあり、疲れと不快な汗を身にまといつつ車両に乗り込もうとしていた私は若い夫婦とすれ違いました。ふと気になってその夫婦を振り返ってみると、お父さんに抱っこされた1歳になるかならないか小さな赤ん坊が私の方を見ています。そして赤ん坊の顔には、満面の笑みが溢れているのです。そして、体を無理にねじ曲げ振り返ってまで私の顔を追ってきます。不思議に思いながらも、疲れから極めて不完全で不格好な笑顔しか返せなかったのを憶えています。
やがてドアが閉まり、あまり効き目が無い冷房に一息つきかけたその時、実に唐突に一瞬で全てを理解しました。
あの赤ん坊はあの刹那、JORGEだったと。そして、もう悲しむ必要がない事を私に告げに来てくれたと。
直ぐに次の駅で降りて引き返す考えも頭の中を横切りましたが、でも次の瞬間にはその必要もなく、そうしてはいけないとも理解していました。

BLOGでのエントリーという方法が相応しいか否か判りませんが、クリスマスシーズンをむかえてもいつもの様にお祝いのメッセージをスペインに送る事も無くなった私は、この様な形でしかJORGEに連絡をとる術を知りません。
もしこのエントリーを読んで下さった方がいらっしゃったら、改めて極めて私的なエントリーである事をお詫び致しますとともに、幼児虐待や医療ミスといった弱い者が犠牲になる事故が少しでもなくなる事を、一緒に祈って下されば幸いに思います。

Feliz Navidad(メリークリスマス).

写真:Jorge、実弟と。2000年グラナダアルハンブラ宮殿にて。