サバニキチガイの年末


今年の後半、平均すると月に1回のペースで沖縄への出張を重ねた。
出張の主な目的は、地元のケーブルテレビ局との共同事業であり、且つ日本初の試みでもある視聴者や地域のスモールビジネス参加型の地域ポータルを立ち上げるというプロジェクトの準備である。

長年に亘って「Vojkru(ボイクル)」というブランドで、特にCATV局を代表とする地域メディア間でのコンテンツの交換や流通をテーマとして仕事をして来た当社にとって、沖縄の地元からの共同事業への誘いは正に渡りに船。10月からは1月のサービスインに向けた開発と平行してビジネススキームの開発や地域のコンテンツホルダとのミーティングが続いた。

そんな中、毎回の出張の準備に追われる私に対して、幼い6才の次女が必ず「沖縄はおしごと?サバニ?」と尋ねるのが面白く笑わされた。
仕事の一方で沖縄の海に浮かぶサバニに魅せられ、いつかはサバニを持ちたいと考えはじめたわたしの夢は、数多くの人の支援によって望外のスピードで実現した。そして結成したチームにやって来てくれた50歳を超えるかもしれない綾風は、わたしにとって至上の時間と現地の人たちとの心温まる交流の機会をもたらしてくれた。春先にはミーカガンを作成する事を教わり、その謝礼として作成しはじめた糸満のウミンチュ文化を保存している私設博物館のウェブサイトの制作を通じて、和船の工法を記録継承せんとする外国人ダグラスブルック氏との交友関係が始まった。また、そのウェブサイトでの、近年の帆かけサバニを取り巻く一連のムーブメントのきっかけになったと言っても過言ではない白石勝彦氏の著書「沖縄の舟サバニ」のオンライン全文掲載が氏の快諾のもとに決定し、更に絶版になった希少本のオンライン化という新しいビジネスの予感をももたらしてくれた。
そして前述の地域ポータルや沖縄で受注したその他の幾つかの仕事さえも、そんな縁の中で成立しているのではないかと思わされる事があるのである。

引き続き予断を許さない厳しい経済情勢の一方で、この様にかけがえのない大切な出会いをもたらしてくれた2009年もやがて終わりを告げる。来年は海、そして仕事でお付き合い頂いている全ての仲間に、少しずつではあれども恩返しをして行きたいと思いつつ、年末の家の仕事を手伝えとうるさい実妹や母や家内達の声や、遊んでくれとせがむ親戚の子供たちの声に耐えながら、いつになく平穏な気持ちで寒い京都の実家のこたつの中でキーボードに向かっている。

皆様も、どうか良い新年を迎えられます様に。

トップ写真:おせち料理の準備が進む台所から

東海岸


北東-南西方向に延びる沖縄本島の両側をそれぞれ西海岸と東海岸と呼ぶ。
地政学的なアプローチでなく、あくまでも産業の種類という観点で捉えた場合、西海岸は北谷から普天間、残波岬を挟んで恩納村のリゾートホテルが乱立する一帯を指す観光資源が開発された地域であり、一方で東海岸は与那原を起点に北に向かって中城村〜うるま市、そして金武湾を経てヤンバルに続くどちらかと言えば観光やレジャーのための地域と言うよりも、むしろ石川のセメント工場群に代表される工業地帯というイメージで捉えられる事が多い。

例えば学生時代から今日に至るまで、ダイビングをする為に訪れる海と言えば砂辺や残波岬であり、私が漁師の見習いをしていたのも辺戸名という名護から更に北上した西海岸の漁村である。ビーチパーティの定番だったタイガービーチもその例外ではなく、従って東海岸の海で遊んだ記憶といえば東村安波での数回の漁やレジャーダイビングを除いてはあまりない。唯一、伊計島だけが東海岸でリゾート色の濃い場所かもしれないが、その伊計島でさえも平安座島の石油貯蔵基地を経由してアプローチしなければならない為に、私の中ではやはり工業地帯に隣接しているというイメージが植え付けられてしまっている。勝連半島から平安座島を結ぶ海中道路でさえも、金武湾や中城村沖海域の環境を激変させた人工の構造物として私の目には映るのである。

年末も押し迫った12月半ばのある日、長らく泊港に面した駐車場でお世話になっていたサバニ「綾風」を、地元メンバーの縁もあって東海岸の宜野座村に移設した。

宜野座村と言えば、迷走する普天間基地の移設問題の渦中になっている辺野古の海からわずか数Km南に下った場所であり、辺野古崎の先の海上に浮かぶ小さな平島を望む事も出来るほどに近い。白状すれば、「この美しい海を壊してはいけない」という基地移設反対派の地元住民の主張を聞く度に、東海岸=工業地帯と言うイメージが先行していた私は、果たしてどれ程にきれいな海なのか半信半疑でいた事を否めない。

そんな宜野座の海に帆を張って漕ぎ出したのは、出張の中日の休日。
もし東風に恵まれたならば、伊計島を目指して金武湾を横断しようと計画しての出航だった。あいにくと予想よりも早く南に振れてしまった風に伊計島までの到達は断念せざるを得なかったものの、初めての金武湾には私の貧しい想像力を遥かに超える、見事に美しい海が横たわっていた。


宜野座沖を行く綾風

サバニの上からは限りなく透き通った海水を通して、イノーの豊かな生態系をも垣間みる事が出来る。
まるで赤茶けた帆を高らかに掲げた綾風を歓迎するかの様に水面で煌めく陽の光の一部は私たちを暖かく包み込み、またその残りは海中に達して海をエメラルドに染め上げながら美しいサバニの船体を映し出す。サバニのセーリングポテンシャルを肌で感じようと、一同は漕ぎの手を止めて、ある者は帆を見上げ、またある者は流れる海面に視線を預け、そして皆で静かに風の音を聞く。唐突に、今のこの瞬間を絵にしてタイトルをつけるとすれば「永遠」という言葉が似合うという断片的な思考が、浮かんでは、消える。

金武湾にサバニを浮かべたその日は、いみじくも沖縄県への核持ち込み密約を記した文書が佐藤元首相の遺族の自宅に保管されていた事が判明した翌日の事。外務省が繰返し「存在しなかったか、少なくとも今はない」と主張して来た事を覆す、「お家にありました」という発表の馬鹿馬鹿しさに苦笑した私は、帆走の静寂を爆音でかき消しながら、やがて超低空飛行で海上にいる我々の頭上をキャンプシュワーブに向けて通過する攻撃型ヘリに対して、エークを突き上げたくなる強い衝動に駆られた。
サバニチームの地元メンバーの友人が宜野座での初のサバニの帆漕練習を心配して船を出してくれた。米軍基地で働くと言う彼が呟いた、「辺野古に基地が来れば、もっとうるさくなる」という言葉がいつまでも耳に残った。

東海岸の海にとって、果たして来年はどの様な1年になるのだろうか。

トップ写真:宜野座の舟溜りで出航を待つ綾風

さらば赤き彗星


赤星がいるから先取点が期待出来る。
甲子園でのゲームでは、従って1回の表に失点さえしなければ優位に試合を進める事が出来る。
点を取った直後に失点をする傾向の多かったここ数年の先発投手福原の場合を除いて、常にそんな考えがゲーム序盤の私の頭の中を支配していた。

そんな赤星のまさかの引退は、わたしにとってチームカラーや戦略をも一変し、ある意味ではゲームの醍醐味を半減してしまう程の、そしてかつてない程に悲しくて無念に滲むものである。
決して体格に恵まれない野球少年の期待の星でもあった赤星選手のプレーを感謝の念を持って振り返るとき、時として涙さえも滲むのである。

沖縄そばウィーク

特にそうしようと決めたわけではなかったものの、複数の行程をたまたま共にする事になった現地の古い友人も私同様に沖縄そば好きだった事も奏功し、今回の長期にわたる沖縄への出張での昼食の全てが沖縄そばという夢の様な結果に終った。
沖縄そば好きの諸氏のために、ご参考までにご紹介すると...

私のブログを読んだ別の友人曰く、ソーキの別皿の理由は元々は肉を乗せる習慣が無かった沖縄そば本来の姿がそうである事と、微妙な出汁が味付けされた肉に邪魔されない様にとの配慮ではないかとの事。その観点で再度同店のそばを頂いてみた。納得出来た様なそうでない様な...。

  • 2日目:平田屋(糸満漁港近く)、沖縄そば

糸満での帆掛サバニ走せー大会前日の練習で震える体を抱える様にして、糸満近辺でそば屋を探し回ってやっと見つけた店。糸満漁港近くの営業を中止しているボーリング場の並びにあるその店は、そばの味よりもむしろ姉妹かと思える2人の美人店員にばかり目がいってしまった...。

  • 3日目:宮良美(小禄バイパス):宮古そば

糸満でのレースを終えて、以前から気になっていた宮古そばを食しに立ち寄る。本場宮古島でも感じた事だが、上に乗っている肉の食感が他の地域のそばとはまるで違う。一見しただけではパサパサしている様に思える肉のシットリ感は特筆に値すると思う。

沢山のブログでは美味しい、とする声が多く、その影響か観光客で溢れるこの店のそば。大変丁寧に調理されている事は解り、また数々の工夫も評価されてしかるべきなのだろうが、コーレーグースが無い事、器の形が特殊で汁を飲みにくい事、そして値段が高い事が(あくまでも)私にとってはマイナスポイントになってしまった。

  • 5日目:○○食堂(名護市某所):沖縄そば

ご夫婦で地元の方を対象に小さなお店で営業されているが故に、このそば屋を紹介してくれた友人の意向もあってここでの店名や場所の記載は差し控えたいが、野菜や豆腐等も具材になったこの店のそばは、沖縄そばと沖縄おでんを一度に味わう事の出来る様な、そして稚拙でありきたりな表現ではあるが懐かしさがこみ上げて来る様なとても不思議なそばだった。

  • 6日目:ボロジノ食堂(那覇市泊):野菜そば

南大東島のそば。黄色いカレーや豆腐チャンプル等、他にそそられるメニューも多いが、チャンプルーを調理する良い匂いにつられてここでは野菜そばを注文。昔から、肉そばというネーミングが、肉入りではあっても大量の野菜炒めが具になっているために不思議でしょうがなかったが、野菜そばには肉はなし。香ばしく炒められた野菜とそばのコンビネーションに大満足した。

前述の古い友人も絶賛の八重山そば。訪沖した際には必ず一度は食べている八重山そばは、石垣島のサバニ「うなぢゅら」での練習に足繁く通ったあの頃を思い出させてくれる。ヒハチが良く合う八重山の味である。

首里の本店には観光客が大挙して押し寄せるためにいつも並ばないといけないと聞いたが、ここでは空いていて落ち着いて食事が出来る。かねてより、沖縄そばだけが唯一どんなに二日酔いでも食べれる食事であると思っているが、正にその事を想起させてくれるおいしいそばである。

学生時代から変わらない大きな店舗で今も変わらずに営業している。昔は、座敷席での食後に昼寝をしている現地の人を必ずと言っていいほど見かけた物だが、良くも悪くもそんな風景はもう見られないのかもしれない。6日目の流れで野菜そばを注文したものの可もなく不可もなくと言ったところか。

以上、島々や地域事に異なる色々な沖縄そばを集中して味わえた事は、出張の成果をも上回った様な、そうだと困る様な...。

第15回沖縄県マルチメディア教育実践研究大会

沖縄の北中城小学校で行われた小中学校の先生の集まりに協賛して出展した。朝から夕方まで、ICTを如何に授業に有効活用していくか、模擬授業やワークショップを通じで熱心に議論を重ねる先生方の姿は、普段は垣間見る事が無いもの。

休日を返上して大勢の先生が集まり、この様に授業の質を高めようとする努力が教育の現場を支えているのかと、頭が下がる思いで一日を過ごした。

トップ写真:ワークショップで発表をする先生達。

アンティーク化していく文化

名護での仕事が予定より早く終った事を幸いと、以前から気になっていた名護民族資料館に行ってみた。この資料館の事は少し前にインターネットでたまたま見つけて知ってはいたが、遠方故になかなか行く機会に恵まれないでいた。

道を聞きながらやっとたどり着いた同館での、私が最も興味があるサバニや漁具関係の展示は極一部であったため少しだけ拍子抜けする事となったものの、昔の家庭での日常生活や農業、工業、そして漁業に関連する実に多岐に亘る古い道具が所狭しと並べられていて、好きな人にはたまらないアンティークの宝庫だと思った。

解りにくいかもしれないが、同館に収蔵されているサバニの写真である。


さて、一通りの見学を終えて、わざわざ淹れてくれたコーヒーを頂きながら館長と雑談をする中で、以前から私のサバニに備え付けたいと思っていた木製の「ユートゥイ」が手に入らないものか、ものは試しと尋ねてみた。
曰く、資料館を作る際には数千円の謝礼で手に入っていたユートゥイも、今では2万円を超える値が付く事もあるため、既に十分な展示物を確保している同館としては、持ち込まれる話を都度断っているとの事だった。
大切な先人の文化を理解して継承していく事の重要性は、私のような人間でも昨年から今年にかけてのサバニの修復を通じて体験し感じた事であるが、今回知ったユートゥイの話のように、もしもそうした道具が貨幣価値と置き換えられて商品として流通していくとしたら、その事には一種の違和感を感じざるを得ない。
が、一方では工芸品・美術品の域に達していると言っても決して過言ではないユートゥイや、糸満ミーカガン、そして防水の煙草入れでもあるウミフゾーなどは、もしかするとそうなる事によってこそより多くの人の目に触れて理解を得、また大切に扱われて保全される可能性も増すのではないかとも複雑な思いで考える訳である。

資料館に併設されたお土産コーナーでは何を販売しているのか尋ねたところ、「ゴミの様な物ばかりですよ」との答えが返ってきたため思わず噴き出してしまったが、この人の良さそうな館長がコツコツと積み上げている民間の活動が、実は文化の保全には大きな寄与をしているのかもしれないと思いつつ資料館を後にした。
ちなみに、綾風に備え付けのユートゥイは、水色の漂白剤のポリ容器の一部を切り取って加工したもの。沈をする事も多い我がチームにはまだまだ、この軽くて丈夫で安くて気兼ねなく使えるハイターユートゥイのほうが適している事は言うまでも無い。

トップ写真:私設資料館である同館を入り口付近より臨む。

高校弓道

野球でも有名な在那覇市の某高校の弓道部の練習を見る機会に恵まれた。野球部に用事があるという友人に同行して訪校した際に、グランド脇の弓道場が目に留まった私は、始めてみる高校弓道の稽古に暫し見入る。

代わる代わる行射するその矢数やインターバルには驚かされたが、それ以上にこんな初心者の私でも彼らの射形が大変気になる。足踏みが広い子供、物見が浅い子供がいるかと思えば、打起こしも第三も、見事にバラバラであり、繰り返す行射の中で同じく問題点も改善される事無く繰り返されているのを見るにつけ、ちゃんとした指導者不在の稽古の意味の希薄さが印象に残った。矢数の重要性は最近になって私も学んだ事ではあるが、それ以上に一つ一つの射をもっと大切にすべきではないかと思った。

トップ写真:祖母の見舞いに訪れた施設から臨む浦添宜野湾市の海岸。

はてなダイアリで許されていないスクリプトを掲載する方法の私的メモ

このブログでも活用させてもらっている人気ブログランキングの投票サービスを例に。

  • サイドバーの横幅に注意しつつ、投票サービスで新しい投票を作成
  • 埋込み用のソースコードをコピー
  • 下記、「:」の部分にソースコードを貼付ける
<?xml version="1.0" encoding="UTF-8" ?>
<Module>
<ModulePrefs title="seasick" height="400" scaling="true" />
<Content type="html">
<![CDATA[ 
:
]]> 
</Content>
</Module>
  • *****.xmlという名前で保存(文字コードはこの場合UTF-8
  • 任意のウェブサイトにアップロード
  • iGoogleに予め登録してあるMy Gadgetというガジェットから、「Add a gadget:」を選択し、アップロード済みのXMLファイルのURLを指定
  • iGoogle上にガジェットとして投票サービスが追加されている事を確認
  • 追加された新しいガジェット上部の▽をクリックし、「このガジェットについて」を選択
  • 画面右側に表示されている「ウェブマスター向け」メニューの「このガジェットを埋め込む »」をクリック
  • 幅や高さを調節した後で、「コードを取得」ボタンをクリック
  • コードをコピーし、はてなダイアリのデザイン設定画面のサイドバーの部分にペースト