地域のブランディング

サバニを通じて知り合った米国の船大工・和船研究家のブルック氏曰く、「数ある和船の中でも沖縄のサバニだけが、レクレーション用途で脚光を浴びる事によって復活を果たした幸運な舟である」と言う。日本各地で、乗り手も作り手も途絶えてしまった和船を見て来た氏の言葉は重い。今日のレースイベントが無ければ、操船や造船の技術を理解し継承しようとする私たちサバニ愛好家の活動も恐らく困難だったはずだ。

過日の南城市の帆掛けサバニレースでは、奥武島の漁港をほぼ占有し、随分と迷惑をかけたに違いないが、島の人々は嫌な顔一つせずに私達を受け入れ、またサバニに興味を示した多くの人から積極的に声をかけられた。そんな地域をあげた歓待がレースを後味の良い物にしてくれた。
ところで舟を海に降ろすスロープは基本的には漁港にしか存在しないため、本島中南部で海に出るのには常に苦労する。今では本土や海外からも注目を浴びている帆掛けサバニだが、実は私を含めたサバニ乗りにこの類いの悩みは尽きない。
例えば糸満はサバニの本場であり、かつては海人文化の中枢としてミーカガンに代表される極めて文化的価値の高い漁具を産み育んだ。しかし、そんな糸満さえ今日ではサバニに優しい町ではなく、舟を降ろす場所は限られ保管する場所も無い。新艇のニーズを持つ乗り手も、作り手も居るにもかかわらず、艇庫が無い=舟を持てない=船大工の仕事がない、という負の連鎖がそこにある。民間だけでは解決不可能なこの矛盾を解消する術は無いものか。
揚げたて熱々の美味しい天ぷらで活気づく奥武島は地域のブランディングの成功例だ。いつかサバニを地域振興に活かそうとする自治体が名乗りを上げる日は来るのだろうか?


琉球新報 2011年10月6日 コラム「南風」より)