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金城哲夫


琉球大学を卒業した後も俄には沖縄を去り難く、辺戸名の漁師の親方に頼み込んで漁の修業に打ち込んだ時期がある。山原の港町での毎日はそれ自体がエキサイティングなダイビング漁を基調とし、且つ毎夜の熱く激しい酒の席。長崎の漁師だった祖父の影響から海と離れられなくなり、従って自然と大学で海洋学専攻を選択した酒好きの私は、いつしかこの漁師町で生活する事を考え始めていた。

ところで内地で暮らす子供の頃の沖縄に対するイメージといえば海洋博やアクアポリスだった。数年前のテレビで見た金城哲夫氏の特集で、彼が企画したサバニの船隊による海洋博のセレモニーが、海洋博による海洋汚染を懸念する漁師の強硬な反対によって幻に終わった事や、うまく方言を扱えないが故に自らの中に疎外感を醸造し愛する故郷から孤立して行った氏の生涯を知った。
均質性(日本)と特異性(沖縄)を同時に求めてしまう島の暮らしの中で、彼の晩年の苦悩は沖縄方言を使えない自らの立ち位置に少なからずオーバーラップする。ふと、私を本土に送り返した漁師の親方が伝えてくれたメッセージは「内地で仕事に成功して、いつかは沖縄と本土の架け橋になりなさい」と言う意味だったのかと、長い時を経て理解に至るのである。
戦時には米軍の本島侵攻の足掛りとなった慶良間〜那覇の海。その海を平和の道に戻す意味を込めたサバニ帆漕レースには毎年40チームが参加し、応援団を含め数百人が出身の区別なく共に沖縄が世界に誇り得る伝統海洋文化に戯れる。
古座間味の浜に各自工夫を凝らした帆をあげたサバニが並ぶ勇壮な情景や、参加者が互いの健闘を称え合う表彰式を、不慮の事故がなければ存命であるはずの金城氏が見たらどう思うかと考え、胸に熱い物が去来する。そして沖縄という地域の健全な発展とは何かというテーマを、改めて自分に問いかけてみるのだった。

琉球新報 2011年7月12日 コラム「南風」より)