責任

場合によっては事業の継続の是非さえも検討しなければならないとの考えを事前にウェブサイトで見て知っていた、気仙沼のとある事業者ご夫婦との打合せ。それと平行して、私のビジネスパートナーと、少しでも役に立つのならばと伴った息子による後片付けが始まる。

「物資は足りている。足りないものは人手」とも、事前に聞いていた。
敷地内に折り積もったヘドロの層を、スコップで掬い取り一輪車で運び出す重労働を来る日も来る日も継続する事は、ただそれだけで想像の範疇を超えたものである。
未だ有効に機能する事の無いボランティア関連の情報交換の仕組みを、官民一体の柔軟な取り組みで改善出来る道はないのか、改めて考えさせられる。

打合せの後に後片付けの二人に合流した私は、もしかしてこれは自己満足に過ぎないかもしれないのではないか、との思いを振り払う事の出来ないまま、それでも暫くは作業に集中する。私たちに対してかけて下さるご夫婦の感謝の言葉を聞き、感謝するのはむしろ自分たちであると理解する。

別れ際にご主人から、2ヶ月後を目処に事業を再開したいとの言葉を聞いた。もし私たちが、事業再開の是非の間で揺れる振り子の動きに僅かだったとしても影響を与えたとしたら、これほど大きな責任はないと強く認識した。