阪神戦を放送しないのは仕方ないとしても...


春一番が吹き荒れ、土筆が顔を出し、桜の花が綻んだ頃に待ってましたとばかりに花冷えが訪れる。春は、子供たちにとっては進級や進学の季節でもあり、新卒の社会人が真新しいスーツに身を包んで街に溢れる時期でもある。

そんな当たり前の様に毎年繰り返す自然現象や社会行事と同じく、今年もプロ野球が開幕する。

私にとって今年のプロ野球開幕の雰囲気が何となく例年と違う様な気がするのは、あたかも台風一過の落ち着いた気候の様に、激しいWBCという大きなイベントの後の静けさの様な物を感じているからかもしれない。そう、毎年例外無く感じている様なそわそわワクワク感が今一つ盛り上がって来ないのである。

ハラハラさせられた韓国との決勝戦での勝利で幕を下ろしたWBCに関しては、例えばその意義を論じたり、次回の運営方針に関する意見や、或は感想だったりと言った一通りの思い思いの総括記事は出尽くした感がある。今日時点での野球ファンの視点の多くはWBCで好投したダルビッシュと岩隈の開幕戦での対決等に注がれているが、それ以外にWBCで活躍した選手もそうでない者も、また日本代表に選ばれなかった選手も、それぞれの思いの内を胸に秘めて秋まで続く長丁場のペナントレースへと気持ちを切り替えている事が、インタビュー映像の彼等の言動からも容易に伺い知る事が可能である。

しかし、盛り上がらないのである。

その理由は自問自答するまでもなく、WBCが面白すぎたからに他ならない。

WBCの様な短期決戦とレギュラーシーズンでは、自ずと試合の戦い方も変わって来るだろうし、ファンとしてもあれ程の緊張が持続する筈はないので落ち着いて例年通りに開幕を迎えれば良い様な物の、まるで禁断の麻薬の味を知ってしまったかの様により強い刺激や緊張を求めてしまっている。もちろん今年のレギュラーシーズンでも手に汗握る幾多の対決が訪れるであろうし、結局は一試合一試合の勝敗に一喜一憂するであろう事は解っているのだが、よく考えてみた所、現時点で私の興味を削いでしまう要因が2つある様に思えて来た。

一つは、岡田阪神と真弓阪神のロースターが変わらない事。

中途半端に完成を見る事無く終わってしまった岡田野球なのか、或は完成して既に陳腐化してしまった岡田野球と言うべきなのかは判らないが、新しい真弓体制になってなお、去年までのレギュラーが殆ど変わらないのは何故なのか?若手選手が活躍の場を求めて死に物狂いで頑張っている事は想像に難くないが、一方ではそれ程までに今のレギュラー陣が盤石であるとは思えない。下からの突き上げがこれ程までに弱いチームに、果たしてほぼ手中にしていて手放してしまったペナントを奪回する底力が備わっているのだろうか?

残りのもう一つの要因は、旧態然として変わらない巨人戦中心のテレビ放送にある。

先にも述べた様に、私の様な古いプロ野球ファンも、例えばWBCからの俄ファンも、明日の開幕戦で共通してみたいのはダルビッシュ対岩熊なのである。視聴率を稼げないと自らが認めた巨人戦を何故頑までにテレビ放送の中心に据えなければならないのか、何故俄ファンを真のプロ野球ファンとして取り込んでしまう様な番組構成が出来ないのだろうか?

盛り上がったWBCとは裏腹に、折角のチャンスを活用する事が出来ないプロ野球界とメディアに、今年は既に開幕前からうんざりしてしまうのだった。