鬼の大祓(おおはらい)


私の生家は「おおもと」という明治に生まれた神道の家であり、私は祖々母から数えて4代目の信徒である。宗教法人大本は、信者数を急激に伸ばし又新聞を自らが発行する事によってメディアを手に入れる等、その勢いを当時の国家当局が嫌った事に起因する二度に亘った弾圧や、万教同根を謳ってキリスト教を始めとする世界中の宗教家を集めて合同礼拝を行なった事等、実に波乱万丈なエピソードに事欠かないが故に、教団や、教祖でもある聖師出口王仁三郎の事を聞かれた事がある方も多いのではないだろうか。ちなみに二度目の弾圧は、教団を抹殺せんとダイナマイトまでを用いて神殿を破壊する徹底的なものだったと聞く。

私は、1年に何度も会う事が出来ない遠方の友達に会いたいと、信徒の子供が集まる夏期講座に参加する事はあっても、生憎と大本の教義を深く学んだ訳ではない。が、それでも当時聞かされた話の中で今なお記憶に深く刻まれているものも少なくはない。例えば、大本が主神として信仰する艮(うしとら)の金神が、丑寅とも表記されて一般的には縁起が悪い方角(鬼門)として認識されている様に、実は国祖であった艮の金神が悪神であるとして幽閉されてしまったが為に、善と悪とが渾然一体となった世の中になってしまったというのである。


さて事の真偽はともかく、恐らくこの考え方が強く影響しているのだろうが、実は大本における節分は「鬼は外、福は内」ではなく、「福は内、鬼も内」という。幼少の頃はその豆撒きの掛け声を単に「変」と思っていただけが、今になって思えば、一般的に良いとされていることが必ずしもそうでなく、悪とみなされていたことが実は良い影響を与えている事もあるといった物事・事象の複雑さや多面性を体験するにつけ、実はそれ自体が深い意味を含んだ教えだったのかもしれないと遅きに失しながらも気付くのである。



2月3日には夜を徹して、大本信徒ならずともその荘厳さに圧倒されるという節分大祭が行われる。全国から集められた膨大な数の人型や型代(ひとがた、かたしろ。水溶性の紙に氏名住所や、家屋乗り物等を記したもの)を丁寧に一枚ずつ手にとって無病息災の祈願を込め、その後に身代わりとして水や火で清めるのである。人型は信徒であるか否かにかかわらず誰もが依頼することが出来る。
以前このブログでも触れたことがある美しき東北の夏祭り同様に、世界平和を祈る純粋で幽玄なこの祭典を、あまねく人に知ってもらいたいと思う。

トップ写真:二人の舞姫による大潔斎神事。大本ウェブサイトより。今は見る影も無い実妹も、この大役を仰せつかった事がある。