嗚呼しみじみと嬉しき哉


私事で誠に恐縮ではありますが、私の父は福岡県の炭鉱の町田川で教師の息子として、母は長崎県の壱岐の島の漁師の娘として生まれ育った為、関西弁を操りながら東京の港区でビジネスマンを気取っているつもりの私であっても、この体に流れているのは100%が九州の血であるとも言えます。

日々の暮らしの中では、食べ物も人の気質をとっても九州のあらゆる事や物が私の肌には合う様な気がすると感じる事が多いのですが、血の影響は無論あるにせよ、一方では幼少時代の記憶が最も関与している事は否めません。


夏休みの大半を壱岐で過ごしたあの頃の、例えば煌めく海の照り返しや、頭上から降り注ぐ絶え間ない蝉の声、魚の鱗を包丁で落とす時の音と匂い、夏の夜の肌にまとわりつく風や虫の声、釣り竿の感覚と実際に釣れた魚とのギャップ、大人の酒宴と焼酎の咽せる様な香り、そして祖父母の満面の笑顔、それらの全てが夏休みという季節や自宅から遠く離れた島にいるという事の非日常性がもたらす軽い興奮に増幅されて、今なお私の中の夏に関するイメージの大半を占めています。井上陽水の少年時代という歌は、当時の記憶を否応無く私に喚起させると同時に、決して戻る事はない遠い昔に過ぎ去った時間を少し切ない感傷とともに蘇らせるものです。

この様に私は、実家がある京都での思い出よりもむしろ壱岐での時間を故郷の感覚と重ね合わしてしまっているのですが、例えば人によっては微妙に感じる食べ物の味や、音や、或は匂いや風景に郷愁を感じる事がある訳であり、個人個人を形成している要素でもある昔の記憶は時として人生を生きて行く活力にもなり得るものであると私自身感じる事があります。


さて、学生時代に日本石油公団のアルバイトで南極航海を経験した事は以前少し触れましたが、ハワイで乗船した私たちが長い航海の後に、また南極海に向かう最後の寄港地として立ち寄ったのがチリのバルパライソという港町でした。バルパライソのパライソはスペイン語で天国と言う意味ですが、幸いな事にスペイン語を喋る事が出来た私はカジノに行ったり、現地の旅行代理店の女性と食事に行ったり、アルゼンチンとの国境近くまでちょっとした旅行をしたりと、天国とまではいかないものの大変楽しい時間を過ごす事が出来ました。また、時を同じくして父親がアマゾンに植物の調査に訪れていたため親子二人して南米大陸に居た事になり、実際には相当の距離で隔てられていたものの日本から見てまさに地球の裏側で親父とニアミスと言う不思議な感覚を覚えたものです。


この様な実体験のみならず、南米大陸と言えば数多くの日本人が移住した土地でもあるためか、他の国や地域とはちょっと違った親近感の様なものを持っています。またその移民については小説「ワイルドソウル」を読んで知った実体が脳裏に焼き付いています。


実はそんな南米はブラジル・サンパウロからウェブへのアクセスがありました。

名も知らぬ地球の裏側の誰かは、私のブログや会社のウェブサイト、そして動画配信サイトとくまなく訪問してくれたようであり、もしかするとその方にとって大切な故郷への想い、或は両親や祖父母の故郷への郷愁を喚起させる様なコンテンツがあったのではないかと想像する訳です。故郷は遠きにありて思うものと言いますが、実際にブラジルの日系人が作られているウェブサイト中に「母国」ではなく「母県」という記述があった事からも、ピンポイントに自分に縁がある土地に関するコンテンツは、日本から遠く離れた方々にとって大変貴重なものなのかもしれません。その事を思うにつれ、当社が配信するコンテンツをご覧頂き、そしてもし喜んで頂けたのならこんな嬉しい事はないと、しみじみと思います。

ちなみに室生犀星の抒情小曲集中の詩句は、正確には「ふるさとは遠きにありて思ふもの、そして悲しくうたふもの」となっています。移民政策の悲しい部分の記憶は決して忘れてはなりませんが、これからは懐かしく、そして楽しい「故郷チャンネル」の様なものとして全世界の県人会の方々等に地域の動画コンテンツを届ける一助になりたい、と熱く思うのでした。

トップ写真:密かに私が「俺の海」と呼んでいる幼少時代に遊んだ壱岐の磯