教科書と教育


我が家の子供たちも新学年を無事に向かえクラス替えに一喜一憂しながらも、新しい教科書をランドセルに詰めて元気に学校に通っています。

子供によれば、学校の先生からその新しい教科書を親に見てもらう様に言われたとの事で、ビールでほろ酔い機嫌の私が、子供が持って来た国語算数理科社会と幾つかのドリルの様な本をパラパラとめくってみた時の感想をしたためてみたいと思います。

先日の教科書検定問題の余韻が残っている訳ではないのですが、どうも小学校の教科書、特に国語の教科書に対しては現役の小学生の頃から一種の違和感の様なものを感じており、上手く説明は出来ないのですが何故ああいう構成しか出来ないのだろうかと実に久しぶりに感じました。少なくとも国語の教科書は、読書好きを育てる様な要素は持ち合わせていない様な気がします。また、日本の英語教育が文法に偏重しがちで中学から高校の6年間の教育を経ても簡単な会話すら出来ない人が多い事と、教科書を作ると言う意味に於いてその背景に何らかの共通点があるのかもしれないとも思ったりします。

話は少し飛ぶかもしれませんが、随分前に「永遠のジャック&ベティ(清水義範著、講談社文庫)」という小説を読み、電車の中だったにもかかわらず堪えきれずに大笑いした事があります。英語の教科書に登場するジャックとベティが50歳になって再開し会話をすると言う設定なのですが、その内容が「これはソファーですか?」「いいえ、これはソファーではありません」であったり、「私はいくらかの昔の思いでを思い出します。」と、当時の英語の先生の説明そのままに、実際には有り得ない会話をする訳です。今考えれば英語の先生も大変だったんだろうなとは思いますが、当時の英語教育を受け、訳が分らずに英語アレルギーになった人も多いのではないでしょうか。

社会の教科書には、少し印象に残る頁がありました。それは日本に稲作が伝わった時代を解説している部分なのですが、そこでは男も女も大人も子供も老人も、皆が一緒に力を合わせて和気あいあいと農作業をしている風景がイラストで描かれていました。実際には人力で行う作業は辛く大変なもので恐らく食べる事で精一杯だった事でしょうが、間違いなく現代社会のストレスとは無縁の世界で、今よりもずっと豊かな自然に囲まれて家族と一緒に生活を送りながら、地方地方で独特の文化を長い年月をかけて育んで来た事でしょう。

そう考えると、人間は一生懸命自分たちの生活を恐ろしく複雑なものに変えてしまい、日本ではここ数十年の間に地方の特色を積極的に且つ急速に捨て去ってしまっている様にも思えます。少し強引かもしれませんが、本来は学校の教育現場では、そのような事を教えるべきであるにもかかわらず、何となく表面的な事象の解説に終始してしまっていると考えるのは早計でしょうか。

何年か前にある地方の大学に、授業の自動収録システムの販売の為にデモをしにお邪魔した時の事です。その授業は、その地方に縁のある小説家の生涯と作品を解説するものだったのですが、暫く授業を聴いていて呆気にとられてしまいました。その授業の先生は、恐らく何年か前に作ったであろう数枚のプリントの内容を、実に淡々とただ読み上げて行くのです。プリントに書かれている内容はインターネットで興味を持って検索すれば誰もが簡単に入手出来るものに他なりませんし、そのプリントが特に体系的に特に良くまとまっていて且つ各作品の中身にまで触れた議論や解説がなされている訳でもなく、その作家の作風や時代背景との関連性を理解する為の手助け(これが本来のこの授業の狙いだったと推測は出来ましたが)となる様な要素等一切無いのです。これでは授業を受ける学生もたまったものではないでしょうし、その授業を収録される先生もたまったものではないでしょう。

最近、何処かの雑誌で「教育とは自分で物事を考える為のアプローチや手段を教える事であり、知識を詰め込むものではない」と言う様な内容の記事を読んだ事がありますが、この大学授業の例はまさにその対極をなすものだと言えます。

これまでの学校教育に関して議論をする程の知識も考えも私は持ち合わせてはいませんが、これからの子供たちには是非とも自分で見つけた疑問に対する解決方法を自分で見つけつつ、柔軟な思考能力を是非身に付けて欲しいと願わざるを得ません。

また、上質の教育コンテンツに対して、ネットワークを使って簡単にアクセス出来る時代の到来が待ち遠しくもあります。
最近のある大学でのコンサルティング業務の中で感じた事の一つに、授業を収録したコンテンツに関する大学と教職員の間の権利処理が思った程に簡単ではなく、その事が授業をネットワークで配信する事の一つの大きく且つ根本的なハードルになっているという点があります。しかしながら、願わくば教壇に立つ教職員の方や高等教育期間の経営者の方々が、目先の利益だけではなく、学びたい・教えたいと言う欲望に対して知の共有の場とコンテンツを積極的に提供する事によって、学問の裾野を広げて行く事にも視野を向けて欲しいと思うのです。

写真:半ば諦めていた今月中の石垣島訪問が実現しそうです。6/24に正式に決まった今年のサバニ帆漕レースに向けて、練習に励んできます。また、先日撮影したそば屋さん他のCMもお持ちしたいと思っています。※写真は2月の訪問時に撮影したスナップ。