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沖縄の魚

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ネクタイから銛へ

沖縄はヤンバルの村で漁師になって1年半以上が経過した。

琉球大学を卒業した後も、学生時代の縁や帆掛けサバニの活動を通じて付かず離れず沖縄と関係していたとはいえ、東京の港区で神谷町のマンションに住みながら、虎ノ門の事務所に通う生活を送っていた20数年前の私には、銛と電灯を持って夜に潜水漁をしている今日のことは到底想像出来ないことだろう。亡き祖父が漁師、沖縄でも何人か海人の知り合いがいた等、漁業とは袖触れ合う程度の縁はあったものの、自身の環境の変わり様には自分でも驚くばかりだ。

さて、漁師になるのに先駆けること約半年、漁港内に牡蠣小屋風食堂「レキオテラス」をオープンした。炭火浜焼きの本土産牡蠣と、地元の魚介類を使った料理の二本柱をコンセプトとし、格式張らない、昭和時代の古き良き海の家をイメージした店は、多少の紆余曲折を経ながらも少しずつではあるが、沖縄県内の顧客、観光客、更に海外からの観光客にも受け入れられつつあることを肌で感じられる様になってきた。

そもそも漁師になろうと思ったきっかけは、レキオテラスで効率良く在庫を切らすことなくサザエや夜光貝をはじめとする地元の貝類を提供することにあったのだが、漁の回数を重ねるにつれて次第に、店で販売する貝類だけでなく、ごく自然に魚にも目が向く様になってきた。例えば5Kgを超える様な大型の高級魚を突いた場合は、その一突きが1万円以上の収入になることもあり、また一つ一つ拾うサザエであっても、その数を地道に積み上げれば陸上での仕事で得られる収入を超えることもあると理解してからは、徐々に漁の醍醐味に魅せられ、そして沖縄の美しい海をフィールドとして働けることに喜びを感じる様になってきた。

何よりも、自分自身で水揚げした魚介類を自分の店で提供し、美味しそうに、楽しそうに食べて帰ってくれる顧客の姿を眼の前で見れることは、この上なく嬉しいものだ。

魚の名前

ところで釣りの趣味がなかった以前の私は、沖縄の魚の名前と言えばグルクンやビタロー、一部のイラブチャー等の誰もが知っているメジャーなものを除いて、ほとんどと言って良いほど知らなかったものだ。そして今思えば笑い話に近いことだが、メバチもキハダもトンボも、自分の中では本マグロ以外は全て「その他のマグロ」と一括りで扱っていた。

夜間の電灯潜りの際に、お互いが突いてきた魚をタボ網からクーラーボックスに移しながら、「名前は何?美味い?ベストな食べ方は?」との質問を繰り返す私に根気強く応えてくれた先輩漁師のお陰で、今では漁の間に目にするほとんどの魚の名前や調理方法が頭に入ってきたが、その会話の中での名前はもちろん沖縄方言である。
漁師として働くだけであれば、魚は方言名さえ知っていれば十分なのだが、同時に魚介レストランを経営している身としては、顧客に説明するために、場合によっては関東と関西両方の和名も同時に覚えなければならず、また海外からの来店客も増えてくるに従って更に英語名も覚える必要が出てきた。

これは50年以上の歳月を経た脳みそにとっては思ったよりも大変な作業だ。何しろ一番覚えるべき方言名でさえ、例えば八重山諸島沖縄本島では多少の違いがあっても然るべきだろうが、本島内でも、目と鼻の先の名護と宜野座でさえ微妙な違いがあるのだ。店舗内でも販売している、沖縄の市場で水揚げされる約300種類の魚を網羅したポスターとの睨み合いは、今でも開店前の日課となっている。

話は少しそれるが、沖縄の三大高級魚とは何かと聞かれることがある。以前の私を含めて、アカジンミーバイ(スジアラ・leopard coral grouper)とマクブ(シロクラベラ・black spot tuskfish)までは名前を挙げられるものの、3番目がどうしても出てこないという人が多い。3番目は浅瀬に棲む前述の2種とは違い、深海魚であるアカマチ(ハマダイ・long tailed red snapper)である。

中でもアカジンの刺身はナンバーワンの高級魚であることを疑う余地がないほどに美味い。夜間は岩陰にひっそりと潜むマクブは、ライトで照らすとこの世の物とは思えないほどのこの上なく美しいエメラルドの光沢を放ち、突いた際には頑丈な鉄筋から作られた銛が折れんばかりにグニャグニャと曲がるほどに力強い。アカマチを含めたこれら三代高級魚は、良い出汁も出る、バター焼きでも美味しいと紹介されることも多いが、私の持論としてはバター焼きなど勿体ないという意味でもってのほか、断然刺身で食べるべきだと考えている。百歩譲ったとして、ヒタヒタの水と塩と少量の泡盛だけで煮付ける「マース煮」が刺身に次ぐ最良の調理方法ではないだろうか。おろしニンニクを添えたバター焼きは、本来は安い魚を最大限美味しく食べるための手段なのだ。

魚に対する評価

そんな高級魚もあれば、対極をなす様な安い魚もある。トカジャー(クロハギ・yellow fin surgeonfish)を大漁したある夜、那覇にある知り合いの居酒屋に「トカジャーが沢山獲れたので差し上げたい。これから持っていくから待っていて欲しい」と伝え、約1時間の道のりをクーラーボックスを積んだ軽トラックで急いだのだが、眠い目をこすりながらようやく着いた時に思わず目を疑うこととなった。何と電気も消えて誰もいないのだ。もう一生涯行くことはないだろうその無礼な居酒屋の、はっきりと要らないと言えない沖縄独特のニュアンスを感じることが出来なかった私が悪かったのかもしれないが、これがアカジンだったら間違いなく結果は違ったはずだ。

ちなみにカジャーとは「匂い」や「臭い」といった意味に使われる沖縄方言であり、真偽のほどは定かではないがトカジャーの名前もそこから来ていると聞いたことがある。居酒屋は臭い魚は要らないと無言の意思表示をしたのだろう。

ところで沖縄の魚は、本州のそれと比べても割高だと聞いたことがある。競りの価格をざっと見てみると、例えばアカジンが高い時期で5,000円/Kg(年間平均すると2,000円/Kg強)を超えることさえある。伊勢エビは年間を通して高値で10,000円/Kg、活で形の良いもので平均5,000円/Kgくらいだろうか。一番高級なセミエビに至っては競りで20,000円/Kgを超えることさえあり、その都度大変驚かされ、いったい誰がどの様にして食べるのか追跡してみたくなるものだ。これら県産魚介類の高値を引き起こす土台の一つとして、沖縄が観光に立脚した県であることがあげられるだろうが、一般的な家庭の普段の食卓にこうした高級魚介類が並ぶことはあまりないだろう。一方で安い魚は10円/Kgといった値が付くことがあるが、これは実質売れなかったに等しい。前述のトカジャーで平均200円/Kgだが、もちろん10円/Kgの場合もあり、漁師はその都度競りに出す意欲を削がれて、結果こういった魚はどんどん流通網から遠のいていってしまうことになりかねない。

また他の多くの港でもそうだろうが、市場に流通しない魚が上がっているのを常日頃見かける。それらは、例えば気づかないうちに尻から油が漏れる事もあるというインガンダルマバラムツ)の様に通常の食用には向かないものだけではなく、実は十分に美味しい魚も含まれている。例えば海水域に生きる新鮮なボラは、刺身にしても極めて美味い。エイは煮付けたり衣をつけて揚げても美味しくその独特な食感も楽しめる。小さいものはアンモニア臭も持たない。これらが流通しない原因の一つには漁獲量が少ないことも多少は関係しているのだろうが、金にならないからと捨ててしまう漁師もいることが残念でならない。

件のトカジャーは、独特のクセはあるものの、新鮮なものは刺身で、また醤油だけを使った煮付けや、バター焼き、ホイル焼き等でも、実は美味しく頂くことができるのだ。
高級魚には手が届かず、安くともちょっとした工夫さえ惜しまなければ本来は美味いはずの魚がそもそも流通しないとなれば、その結果、消費者の視線は無難なマグロや県外のサーモン等に向いてしまい、沖縄が本来はもう少し大切にしなければならないはずの近海魚を活かした食文化が、健全に保たれる余地はなくなっていくのではないかと、一種の危惧さえ覚えるのである。

漁法の今昔

ふんだんに氷を使うこともできず、また今日の様な洗練された潜水器具や釣り道具もなかった頃の漁法は、突き漁や釣りに加えて、アンブシ等の網漁や、糸満で発達した「アギヤー」と呼ばれる追い込み漁などが主だった。中でも刺し網漁の場合、夕方のうちに仕掛けた網で捉えられた魚は、冬でも20度を下回ることのない暖かい水中で暴れなら死に、身には血が回ってしまう。それを翌朝になって浜売りするのだから、これは想像するだけで臭いはずである。銛や釣りで獲られた魚の場合は、その場で血抜きがされるので、網の魚に比べれば味が落ちることはないものの、流通の段階で鮮度は急激に失われてしまったことだろう。

一方現在では、例えば潜水漁の場合は水中で漁獲した時点で魚は既に〆られており、また船上では即時的に海水の氷水に漬けられる。その後、競りに出されるまで常に氷温で保たれる訳であり、臭いの原因である内臓の劣化も起きなければ、血が身に回ることもないため、魚が臭くなる余地はない。この様な漁法や流通の劇的な改善にも拘らず、沖縄に根強く残るコンサバティブな魚観が、今なお魚の市場での評価に影響を与え続けている様な気がするのである。

食べ方の工夫

玄界灘のブリ、各地のブランド鯖、呼子のイカ、山陰のカニ、富山湾ホタルイカ、東北のサンマやホヤ、北海道の鮭・イカ・カニ・ウニ...。親戚がいる地域だったり仕事で訪れた日本全国各地で食べた超絶に美味い海産物の味は今も忘れることはできない。それに対して、概して南方の魚は脂の乗りも悪くパサパサして美味くないと言われることが多く、ある意味においては一部は事実かもしれない。例えばマクブでもアカジンでさえも、北海道に空輸して彼の地で刺身で食べた場合に、果たして沖縄で感じる程に美味いかといえば疑問も残るだろう。しかし沖縄の風土気候の中では、前述の高級魚にかかわらず、それ以外でも一旦箸をつけると止まらなくなる様な魚がいることも事実なのだ。以下はそのほんの一例である。

チヌマン(テングハギ・blue spine unicornfish):薄切りの造りにして甘い刺身醤油と酢を一対一で混ぜたタレで食べる、ただし餌の影響なのか地域差があってどうしても臭い個体もある。
カーサーチヌマン(ミヤコテングハギ・orange spine unicornfish):ホイル焼きにして熱いうちに何と肝から先に食べる。ポン酢をかけて食べる身もプリオプリして美味い。沖縄よりもさらに南方のフィリピン辺りでは人気の魚だという。
イノーヒロサー(ミツバモチノウオ・triple tail wrasse):見た目は悪いが、ウニ等を好んで食べるため臭みは全くなくマクブに劣らない肉質で美味い。
アンマーイチャー(和名・英語名不明):そのままでは臭くて食用にするには厳しいイカだが、完全に乾燥させたスルメにすれば美味い。

ディスカバリー、沖縄の魚

「おや!?この味は...。」

とある魚から、とても良い出汁が出ると教わって試してみた時の第一印象である。
今まで味わったことのない、風味・甘味・絶妙なコクを併せ持った、かつ非常に上品な味噌汁は、以降レキオテラスの魚汁の基本として鎮座することとなった。ストックしたこの出汁に、具となる別の魚を加えて注文を受けてから都度煮込む魚汁が不味いはずがない。
今ではわざわざ那覇からこのこのためだけに訪れてくれる常連客もいるほどの人気商品となった、魚汁用の出汁の魚の名前をここで明かすことはできないが、沖縄にもこんなにも大きな秘めたポテンシャルを持つ魚が存在するのである。ちなみにこの魚のことは他のどこでも誰にも聞いたことはなく、もちろんインターネット上にも情報は存在しない。

県内には、海外から輸入した伊勢海老にウニソースを塗りたくって焼いて供する人気店もある。もちろんそれを否定する気持ちも意思も持っていないが、古い魚観や既成概念に囚われることなく研究を積み重ねて、更なる地元の魚の利活用を模索することこそが、沖縄の漁業の健全な活性化と発展に寄与する様な気がする訳である。また、海鮮料理店の立場から言えば、そこにこそ他店との差別化の要因があると、レキオテラス開店二周年を間近に控えて、とりとめもなく一人夜の厨房で思うのであった。