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ナイチャーの孤独

学生時代、与那原の酒場街で乱闘騒ぎを起こした後に、酒に潰れてスナックのソファーで寝てしまった事がある。翌朝一人目覚めた私は「戸締りして帰って下さい」との書き置きが添えられた鍵を目にして驚いたものだ。若気の至りの反省と共に、おおらかで優しい人々の気質を身に沁みて感じた事は忘れ得ない。

故郷を離れた開放感と、当時はまだ色濃く残っていた異国情緒の影響を受け、私は沖縄の様々な空気を能動的に体内に取り入れた。そうする事で、いつか自らも沖縄に溶け込めると信じて疑わなかった。

県内でも地域によって程度の差はあるだろうが、住んで初めて解る閉鎖的な面が存在するという話を耳にする。例えば10年以上経ってなお余所者として正式な自治会員になれないにも拘らず、行事や作業の手伝いには真っ先に駆り出される、とコボしている内地出身者の話を聞いた。この類の話は、日本中どこにでもあるのだろうが、特に沖縄はその傾向が強くはないか。ある時エイサー大会を見物しながら、決してこの輪の中に自分が加わる事はできないと、寂しく感じた事もある。

この様に、学生時代と大人になってからの今とでは、沖縄社会に対する感じ方が実は大きく違う。その原因は自らの中にも求めるべきだと理解はしているが、被支配の歴史を繰り返して来た近代の沖縄が持たざるを得なかった一種のしたたかさが、時代とともに今もなお成長しているという事はないだろうか。

より眩しい陽の光が自らが作り出す陰を更に色濃くする様な、アメと鞭や期待と落胆のコントラスト。政府が繰り返す沖縄に対する仕打ちが、そのしたたかさを促成している事はないか。そして受容と拒絶の心が年輪のように交互に人々の深層に刻まれ、ヤマトゥとウチナーの心の交歓にも影を落とすのだろうか。


琉球新報 2011年11月17日 コラム「南風」より)