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海洋民族の記憶

今日、久末五勇士による130Kmに及ぶ決死の航海の話を耳にする機会は余り無い。帆掛けサバニを求め現地の友人と宮古島を巡ったある夏の日、立寄った久松漁港で次の話を聞いた。
伊原間までの先人の航海が、言い伝えられた時間では不可能だとする意見に反論し久松の名誉をかけ、また80周年という節目も期して、当時の舟を復元して五人で実証航海をしたという。1985年の事である。彼等の航海の成功は言うまでもないが、実際の乗員の案内で見た美しきサバニは今も忘れ難い。

勿論そのサバニは帆掛けで、五勇士の航海を誇張とする説の論拠にはセーリングの要素が欠落していたのだ。
琉球はサバニによって当時は急造都市だった江戸の造船業に多大な影響をもたらしたという。古の海族は、日本の他の地域にはない洗練された海洋文化に裏付けされた技術を持ち、心はバイタリティで満ちていた事だろう。そして江戸との友好的な関係の記憶は、自然と久松の海人にも引き継がれたに違いない。
この様に戦時に自らの命を賭して母国に貢献した県人の気質を物語る例は枚挙に暇がない。例えば数年前、鉄血勤皇隊の事をテレビで知った。当初兵站を担当した少年達は自らの境遇を喜び、誇り、最後は戦闘員として容赦なく敵軍の銃弾に晒された。無論これら戦禍の歴史は沖縄に限った事ではないが、唯一の地上戦や友軍による無言の自決強要、その後の基地問題での日本政府による対沖縄のネゴシエーション等によって、図らずとも沖縄だけが際立ち、そして友好の記憶の一部は不信へとその姿を変えたのではないか。
これからの時代、対米追従に走る政府だけを見るのでなく、隣接するアジア諸国を今以上に見つめた、誇り高き琉球海洋民族としての政治や交易を独自に目指しては如何かと、先人達が問いかけている様な気がする、盛夏の一日だった。


琉球新報 2011年8月9日 コラム「南風」より)