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ウチナージラー

大学での講義中、西語の教諭はどことなくラテン系な、英語の教諭は英国紳士的な風貌だと感じていた。環境や生活が人の顔を作るという事は多分にある事に違いない。沖縄を離れ四半世紀経た私の顔はナイチャーそのもの、県出身の彫の深い紅顔の美少年だった友は、今は風貌も雰囲気も立派に沖縄のおじさんだ。
そんな我々40代に共通の三大関心事は、仕事、教育、そして健康だろう。中でも私には、家内の小言を躱して合法的にサバニのイベントで訪沖する為にも沖縄での仕事は不可欠で、結果商談の機会を頂く事もある。そんな中で時折出くわすある違和感が今回の主題である。

それを一言で表現するならビジネススタイルの内地志向と言うべきか。例えば暑い沖縄でダークスーツを着、若いビジネスマンが1億以下の仕事はやらないと得意げに語る。都会的なスマートさ、内地並の事業規模への憧憬を否定はしないが、果たしてそれが沖縄が目指すべき未来の本質なのか?10円1ドルを積み重ねて戦後復興を支えた先人はこの風潮を歓迎するだろうか?大切な事の多くを失った本土の失敗を後追いはしないのか?
沖縄に住む人達が沖縄の風土文化経済に抱かれ沖縄の顔を身に付けていく、そんな自然の流れに逆らい何故トウキョウの顔を第一に求めるのか私には理解が及ばない。沖縄にとって東京はマーケットであっても目標ではないはずだ。例えば昔のサトウキビに替わる特産品の開発や、観光産業を後押しする自然保護こそ今の沖縄に必要だろう。地方の中でも比較的活気がある沖縄は、真の地方中心の世の中を創る為の日本に残された「希望」なのかもしれないのだ。
サバニを取り巻く人々の顔には何故か沖縄と内地の違いを感じない。互いの熱い想いを共有しているからか。そう、顔は変わるのだ。感情を、心根を、優しさを、そして決意や志を映す鏡の如く人の顔は変わる。心が主で顔が従なのだ。

琉球新報 2011年7月26日 コラム「南風」より)