3.11

一年前の今日、初めて経験する強い揺れに襲われた横浜の自宅で私は、机に向かって仕事をしていた。丁度、沖縄の友人と話をしている最中の事で、彼からの「地震、大丈夫ですかっ!?」というメールを最後に、夜までの暫くの間、停電に見舞われて一切の情報から隔離されてしまった。

その後の、自身の転職を含む1年間の激動の変化の中で、知り合う事が出来た大漁旗を製作されている気仙沼の菊田ご夫妻。実に頼りないものではあるが、菊田染工場のお手伝いになるならと先輩と始めた同工場のウェブサイトによる広報活動。3.11に際して、改めて色々な思いが駆け巡る。

3.11に間に合わせるべく製作したステッカーに添えるための文章を考えてみた。「大漁旗等をご購入頂きましたお客様へ」と題した駄文、もし宜しければご高覧の程を。

菊田染工場との出会い
忘れもしない2011年3月11日の午後、横浜市の自宅でパソコンに向かって仕事をしていた私は、崖の縁に建っている自宅の地盤の崩落を真っ先に気にした程の、突然の激しい揺れに襲われました。幸い大事には至らなかった自宅のリビングでは家内と、既に帰宅していた高校生の娘がテーブルの下に隠れているのを見つけて「心配ないよ」と声をかけたものでした。それ以降、夜も遅くなってようやく電気が復旧し、畑と宅地を黒い水が呑み込んでいく映像を海外のウェブサイトで見た時には、これが横浜から僅か数百キロ離れた東北で起った事であるとは俄には信じる事は出来ませんでした。
やがて、徐々に地震と津波の被害が明らかになるにつれて、我が家が停電していた数時間に身の毛もよだつ様な被害が東日本を襲い、そして今なおそれが続いている事を知って、戦慄を覚えました。

偽物から本物へ
当時私たちは、海外に向けて大漁旗や命名旗の文化を紹介出来ないものかと、オーダーメイドの大漁旗専門のオンラインショップの開設の準備を終えた所でした。それは、複雑な図案への対応やコストの両方を考慮して、プリンター出力による室内装飾に限定した仕様で旗を販売するという計画でした。
震災後しばらくして、とある新聞の記事で瓦礫に掲げられた気仙沼の大漁旗の写真を見た私達は、今取り扱うべきは本物の大漁旗であり、ビジネスマンである私たちが、震災からの復興のために出来る事は、お金や時間ではなく、これまでのネットショップ運用支援の経験を提供して、一日も早い地元企業の事業の再開を、しかも継続的にご支援する事ではないかと思い至ったのです。
少し期間を置いて菊田染工場に連絡をし、無理を言ってお時間を頂いて、全くの微力ながら片付けのお手伝いを少しだけさせて頂ける事になりした。気仙沼を訪問した私達が目にしたのは、想像を絶する被害状況と疲れ切った被災者の方々の姿でした。 そのとき私達は、いつか菊田染工場が再開した暁には、大漁旗を復興のシンボルとして流通させたいと強く願う様になりました。そしてもしこの事業が軌道に乗ったならば、利益は復興のために役立てて頂ける様に寄付をすれば良いとのアイデアも浮かんだのです。

お客様へのお願い
この度、同封させて頂いたステッカーは、旗をご購入頂いた皆様への私達からのささやかなお礼の印と、ウェブサイトが少しでも多くの人の眼に触れる様にとの願いを込めた物です。どうぞご笑納下さいませ。また、ブログやウェブサイトをお持ちの方は、もしご迷惑でなければ当ホームページへのリンクを貼って下さいます様、ご検討をお願い申し上げる次第です。リンク方法は、トップページに記載させて頂いております。
更に、可能であれば、菊田染工場の製品を手に取られた時のご感想や、お使いになられているご様子を写真でお送り頂けます様、お願いを申し上げます。お送り頂いた内容は、ウェブサイトで紹介をさせて頂く事をご承知置き戴ければ幸いです。
この先、何年も続くであろう被災地の復興はまだ始まったばかりです。引き続き、菊田染工場をご愛顧賜ります様、何卒宜しくお願いを申し上げます。

菊田染工場サポートチームを代表して
津輕 良介