金本の右肩


沈をした(ディンギー)ヨットに這い上がる事が出来ない程の、肩の痛みに1年以上にわたって苦しんでいた経験がある。これはこれで非常に危険な事である事は言うまでもないが、実はその頃には寝返りをうつという、たったそれだけの行為にさえも激痛が伴うため、その痛みで眠れない夜を過ごした事もあった。
「もしかしてもうこのまま回復する事はないのかもしれない、ヨットにも乗れなければ子供とキャッチボールをする事も叶わないのか.....。」と考えた時の、あのやるせなさと絶望感はこの先も恐らく忘れる事は無いだろう。

常にファイン/スーパープレーを当たり前のように求められ、テレビやラジオまで含めると何十万人もの視線を浴びるプロのアスリート、ましてや阪神タイガースという人気球団の中心選手ともなれば、その一挙手一投足への注目度は計り知れない。
広島から阪神への移籍後、自らが手本となって自チーム内の気の緩んだプレーを戒めて来た金本選手は、レフトから内野へのスローイングもままならない自分のプレーの不甲斐なさに忸怩たる想いだった事だろう。左手首を骨折していてもなお、出場するからにはチームに迷惑をかける訳には行かない、それどころか普段と変わらない最高のプレーをしなければならないと、右腕だけで打ったタイムリーヒットが思い出される。
金本の連続試合フルイニングス出場の世界記録が確定した(途絶えた)日から遡ること数週間、はからずとも思い出していたのは数年前の自分の肩の痛みの事。ゲームに出場したプロのアスリートとしての責任感、自分の肉体に関する憂慮、そして阪神の4番バッターとしての重圧は、ウィークエンドセーラーの私等とは比べようもないものだと頭では理解しつつも、自然と金本選手の痛みを共有している様な錯覚に陥りながら事の成り行きを見守っていたのである。
形ある物が必ず壊れるのと同じ様に、いつかは途絶える運命にあった彼の世界記録。「金本を見習いなさい」と、折に触れて私から叱咤されてきた野球少年である愚息共々、恐らくずっと私たち親子の記憶に残り続ける選手であろうことは言うまでもない。
沢山の関係者が寄せたコメントのなか、選手個人の記録を大切にする岡田前監督が残した、「1週間前に電話で話した時に「絶対休むな」と言って(金本も)「分かりました」と言っていたのにな…。事情がどういうことか分からんからな」(サンスポ)という一文に何とも救われた様な気分となった。