電子書籍の可能性


以前も書いた様に、海洋冒険小説が私にとっての読書の黄金ジャンルである。或いはスパイものやハードボイルドものでも同じなのだが、そこに登場する人物には、階級、性、名やニックネーム、更にはコードネーム等の実に多くの呼び名が存在する。海外を飛び回っているビジネスマンの様に、外人の友人や仕事上での知り合いが日本人並に多いような人は別にして、私の様な一般人は読み進むうちに一体誰が誰か解らなくなるのが関の山である。

この多くの原因は日本の名前の場合は登場人物の名前と実際の知人を重ね合わせて記憶したり、顔や姿形を想像する事によって登場人物を把握しているのだろうが、カタカナの名前ではなかなかそうもいかない事が原因なのだろう。
私の様に記憶力が些か足りない読者の為に、カバーの折込み部分に主要登場人物の名前や肩書き、あるいは簡単な主人公との関係と言った作品における役割が記載されている場合があり、何度も繰り返し参照する事によって辛うじて物語についていく事が出来る訳だが、これとて登場事物の作品中の重要性を予め教えられる一種のネタばれになる事も否めず、またそこに入り切らない脇役の存在を希薄化させる事にもなりかねない。
いっそ、日本語の名前に全置換すれば良いのではないかと思った事もあるが、作品の雰囲気を著しく損なう事になってしまう事は明白だ。

先日のPAGE2010で説明を受けた企業の多くが実感としてそう教えてくれた様に、iPadの発表によって電子ブックにおけるePub形式の知名度が日本で一気に上がった感がある。
そもそもePubはテキストを主体とした電子書籍向けに策定された企画であるため、レイアウトに重きを置くコミックや雑誌には向かず、また策定からそれなりの時間が経過しているため、批判や問題点の指摘も数多く見られる様ではあるが、AmazonのKindleやSONY等の現在米国で主流な電子書籍リーダーが採用している事も後押しになって、いずれ何らかの形で日本でも普及する規格である事は間違いない。
そしてその事によって、例えば地方紙等の日本の地域メディアの事業が健全に発展する事をサポートする一つのインフラへと成長するのであれば、それは素晴しい事である事には間違いない。

がいずれにせよ、ePubや他の電子書籍の規格はあくまでも流通や利用の枠組みの話であって、如何に今の印刷物と同等かそれ以上の利便性(最近の言葉で言えばユーザ体験)を様々な電子デバイス上で実装していくかという問題とは一線を画して議論されるべきであり、小説における日本人にとっての外国人の名前問題(?)を始めとして、電子書籍であるが故の利便性を追求しない限り、その普及はないのではないかと思う。

ちなみに外国人の名前については、電子書籍上では全ての名前に登場人物一覧をポップアップで表示させるリンクを付けたり、或いは少々乱暴かもしれないが同一人物の表記を一元化して表示するモードを設けたり、或いはアバターを表示するのも面白く解りやすいのではないかと思う。映画化された作品であれば、俳優の顔写真を表示し、そこにDVD販売用ウェブサイトへのリンクを付けても良いのではないだろうか。

トップ写真:高校時代からの愛読書、チャンドラーの長いお別れ。知能の低さを疑われそうだが、何度読んでも登場人物の名前が憶えられない。