一人の少女の安全も守れない沖縄、と日本


気が付けば遠く離れた名護での市長選挙投票日まで僅か後3日。
日米の多くの人が、様々な立ち位置と主張から固唾をのんで見守るその投票結果の見通しが連日の様にテレビ画面から流れる。そこでは「これまで」と「これから」の二つの時間軸での、経済発展(飴)と基地(鞭)の関係のみが議論のネタになっている。そして、そこで取沙汰されるのは基地という土地空間や武器・航空機と言う物理的な物だけである。

以下、米軍の「海兵隊」という、議論の対象に上がる事のないもう一つのファクターについて、以前も紹介した事のある「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史:佐野眞一著、集英社インターナショナル(2008年)」からの一部引用によってご紹介したい。

少女はその日の午後八時過ぎ、自宅から歩いて三分とかからない文房具店で百五十円のノートを買い、店から出たところを三人の米兵たちに襲われた。少女は彼らがかねて用意してあったレンタカーの車内に力ずくで押し込まれ、これも犯行のために準備してあった粘着テープで両目と口を覆われ、さらに両手足首を縛られた。そして拉致現場から約1.5キロ離れたサトウキビ畑に連れ込まれて強姦された。
事件現場となったサトウキビ畑の近くには人家はまったくなく、夜になれば太古の闇に包まれる。サトウキビの高く伸びた茎が遮音して、近くの海岸の波音もここまでは届かない。ここで二メートル近い黒人の大男たちにかわるがわる強姦された少女の恐怖は想像するにあまりある。告訴に踏み切った少女と家族の勇気にあらためて敬服するほかなかった。
と同時に、このとき来日した三人の被告の家族らが「反米感情が強い沖縄での裁判は自白を強制される恐れがある。こんなところに可愛い息子を置いておけない。沖縄以外での裁判を望む」と抗議した無恥と厚顔さに、言い知れぬ衝撃と絶望感にとらわれた。(611-612頁)

アメリカでの射撃訓練は丸い標的だったが、沖縄ではそれが人形となって、頭や心臓ではなく、股間を狙えと叩き込まれます。心臓や頭は標的が小さく撃ち損じになる事が多いからです。その点、股間は標的が大きく、敵も長く苦しみながら死んでいきます。
沖縄では、ピアノ線を使って相手の首を絞めて殺す方法から、相手の目玉に指を突っ込んで殺す方法、棒で相手のノドを突き刺す方法、後ろから忍び寄って相手が声を上げる前にナイフでノドを掻き切る方法まで、三二種類の殺人方法を教わりました。ベトナムの実際の戦闘では、上官から、殺したベトコンの耳を切り取って、それを首飾りにしろと教えられました。沖縄に帰れば、女でも酒でも楽しめる、暴行しても逮捕されないと教えられました。こういう洗脳教育で正常な人間の感覚が麻痺していくのです......
新人キャンプ時代には、夜中に叩き起こされた教官たちに怒鳴られながら、こんな返事を何度もさせられた、とも書いている。
(「おまえらは誰だ」「海兵隊員です」「声が小さい、お前らは何者だ」「海兵隊員です」「おまえらの任務は何だ」「殺すことです」「スペルを言ってみろ」「K、I、L、L、キル、海兵隊員、ウォー」)(615-616頁)


殺人の為に訓練された複数のプロと一人でも互角に渡り合える様な腕に自信がある人ならまだしも、私には、経済的に多少潤った町であったとしても、彼らを隣人として受け入れる覚悟や勇気は到底持ち得ない。

トップ写真:上空から見た辺野古崎。防衛省情報検索サービスより。