祈りの日々と言葉のちから


景気の低迷の影響に沈んでいた昨年のある時期に、とある人から言われた言葉がある。
「人間の力だけでは何ともならない事がありますからね。」
その言葉は、私の背中に張り付いていた澱の多くを引き剥がし、同時に腹の底、丹田の気力をも瞬時に甦らせた。
それは、人の言葉がどれ程に聞く者の心の奥に届きそして影響するかを実感した瞬間でもあった。

大本という宗教の家に生まれ、幼少期をその境内で過ごした私ではあっても、こんな言葉がスラスラと口から出る程の信心が備わっている訳ではない。それどころか、宗教的な事や日常的に神仏に祈る事さえも奇異であるとする一般的な今日の日本の風潮の中に、私自身も身を置いていたのかもしれない。
そんな40年以上に及ぶ人生の中で持ち続けて来た慣習をも打ち破る、この短い言葉をきっかけとして、それ以来は転居に伴って新しく備え付けた神棚に向かう機会は自ずと増える事になった。

3度の食事に不自由しないこと、家族が健康である事、自らも教育を受け、そして子供にも教育を受けさせてやれる事、素晴しくかけがえのない友人に恵まれている事、そして好きな事業に打ち込めること。それら全ての事が無上の財産であり、そう思う時には幸せな心に満たされる。朝夕の礼拝時に、隣できちんと正座をして私の真似をする子供たちを通して、40年前の自分自身を見たような気分になる。




家族を連れての久しぶりの年末年始の帰省から帰宅した私は、ポストから取り出した年賀状の一枚一枚に目を通す。その中の一枚、大阪に住む旧知の先輩からの葉書の、印刷した定型文の傍らに手書きで記された言葉が胸に突き刺さる。
「毎日命がけで仕事してる!!」
東洋医学を学び、現在は医療機関に従事する彼の奮闘振りをダイレクトに伝えるその筆跡は、心気を充実させて更に事業に集中せよと、力強く私の魂を揺さぶり、やがて昔読んだ詩の一節を甦らせた。


無理からでも為せ 遮二無二進め
なんでもかんでも音を立てよ
思いに思い 言いに言い なしに為せよ
消極は地獄であり 積極は極楽である
瞬時も休むことなく宇宙はまわる
何事でもよい 思い立ったことを
全力をあげて 全心をかたむけて
全身の全細胞にねじ鉢巻させて 全身の全血管に波立たせて
見かけはどんな卑しいことでもよい
見かけは遊戯のように見えることでもよい
面白く愉快に興味にみちて 為しさえすれば真の生活だ
理屈はどうでもよい 他人はどう解しようがままだ
したいと思うことを 為せばならぬと決意したことを
いま目の前に出て来たことを
ドンドン為せよ つぎつぎに為せよ 遮二無二為せよ なせよ為せよ
なすのが生活だ

出口日出麿詩集(2001年、天声社発行)「あるがままに」より「遮二無二為せ」
トップ写真:エスペラント語の精神である「Unu Dio, Unu Mondo, Unu Interlingvo(一つの神、一つの世界、一つの共通語)」という言葉が記された石碑。世界は実にいろいろな言葉で満ちあふれている。