琉球大学で受講したスペイン語や英語の授業の教諭。両氏ともに今でもはっきりとその顔を憶えているが、スペイン語の先生にはどことなくスペイン人の面影があり、英語の先生は英語圏で出会って現地の人だと紹介されたとしても恐らく違和感が無かったのではないかと、今でも思う事がある。

この様な例を挙げるまでもなく、男も女も、その人間が辿って来た境遇や経験の積み重ねがその顔に反映すると言う事は事実ではないか。

沖縄の友人に勧められた「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史(佐野眞一、集英社インターナショナル、2008年)」は、沖縄の暴力団、政治家、芸能、経済、基地問題等の多岐にわたるテーマを表と裏の両面から掘り下げたルポルタージュ。

そこに登場するのは、空手家や実業家やヤクザ、表の世界の人間と裏通りの人間。

戦後沖縄の歴史を形成して来た多くの事件や事象が、彼等へのインタビューによって浮き彫りにされている。それらの何れもが先日のエントリーで触れた「物乞い経済」とは似ても似つかない、強くしたたかで、そして熱い男や女の生き様であり、彼等の息吹が600ページを超える行間から飛び出して来る錯覚を憶える。
彼等の多くが私が沖縄を初めて訪れた頃には未だ存命であり、もちろん一学生である私が、同書に登場する彼等に出会う事は無かったが、数十年前に嗅いだあの頃の空気の匂いや、オレンジに燃える様な夜景を見ながら遠くに来た事を実感した沖縄最初の夜を唐突に思い出した。


著者は、国際通りを歩く現地の若者の顔が一様に特色を無くして来ていると感じると述べている。そんな彼等のほんの1〜2世代前の、沖縄の戦後復興に即して、自ら望んだ、或いは境遇から選ばざるを得なかった立ち位置や視点からの苦悶や苦闘、そして絶望や歓喜が刻み込まれた彼等の顔は、今となってはもう伺い知る事は出来ない。

ダイエーや沖縄芸能の項で触れられている、私を含めた読者の多くが恐らく殆ど知る事のなかったであろうヤマト(本土)と沖縄との持ちつ持たれつの関係、その移り変わりの果ての今日の沖縄に対する政府のやり口を彼等が知ったならば、一体どういう顔をするのだろうか。


※当日のメモ書きを整理して後日アップしたエントリーです。