道州制、3つでなく4つの立場


従来の道州制に関する議論は、霞ヶ関、地方自治体、そして地域住民の3つの立場の違いに基づいたものが多かったが、必ずしもそれだけではない事が門外漢の私にも少しずつ分って来た。それぞれの立場や思惑を考える際にそれらの3つに加えて、企業や教育機関等の法人についても同時に考える必要があるからだ。
以下、私なりの解釈で簡単にまとめた。

  1. 霞ヶ関:地方に金を出す代わりに口も出す、一方では自治体の財政破綻にコミットする等の責任を負っていると言う自負がある。
  2. 自治体:県知事を始めとする自治体の首長は、道・州都を誘致する事によって地域を活性化したいと考えている。また、国の地方自治への関与を減らしつつ、地方交付税を増やしたい。但しこれは、地方交付税を貰っていない東京と愛知以外。
  3. 地域住民:国の過度な地方自治関与の結果として不透明さを増す税金の使途に疑問を感じ、また直接的な民意の政治への反映を望んでいる。或いは感心が低い。
  4. 法人:自治体が道州に統合される事に伴って、組織までもが統廃合される事に危機感を感じている。

実は地元経済を牽引している各地に根ざした法人、例えば大学等の学校法人や、私の専門でもある地域メディアが受ける影響は想像よりも大きいのかもしれない。
放送エリアが決められているケーブルテレビが道州制によって直接的な組織再編の必要性に迫られる事は無いだろうが、それでも局間の番組連携や道州単位でのMSOの成立が加速する事が予測される。新聞社については、道・州都への本社機能の集中と、さらに地域に密着した報道体制へのシフトという二極化によって、現在の県の有力紙と言うステータスは薄まって行くのではないだろうか。

またそれ以上に考えさせられるのは、県を始めとする自治体の考えかた。
道・州都の誘致によってミニ東京を地域に作る事に躍起になるよりもむしろ、田舎の良さとでも言うべき地域性を訴求出来る様な自治政策を打ち出す事によって、我が県には道・州都は勘弁してくれと言う首長はいないものか。為政者の頭の中のみならず、全ての価値観が金に置き換えられている世の中で、それを求めるのは無理だろうが。

トップ写真:今は亡き愛犬と遊んだ故郷の川、中途半端な地方都市になってもらいたくない。