食べ物は何処から?

学生時代に初めて親元を離れて移り住んだ沖縄で、先ず最初に住居としたのが今はなき首里の男子寮。現在その地に立っている県立芸術大学からは想像もできない程の老朽化したその建物は、翌年にはとり壊される事になっていた。そんな首里の男子寮での新入生歓迎コンパの餌食になったのは、従って私の代の学生が最後と言う事になる。

餌食とは言えども、歴史を積み重ねた男子寮でのやもめ暮らしは余程私の肌に合っていたのか、実に楽しい想い出に満ちあふれている。

腹を減らした私に食堂の残りものをこっそり分け与えてくれた賄いの方のお陰でこうして今でも元気で居れる事は紛れも無い事実であるし、たまに何かの機会で首里の男子寮出身者(私はその中でも永遠に一番年下の後輩という事になるのだが)と会う事があれば、あの生活を体験した者のみが共有出来る一種の連帯感の様なものが驚異的にお互いの酒のペースをあげてしまう程、今となっては大切な想い出でもある。

そんな男子寮生活で、新入生が強いられるものの一つが買い出し。
酒のつまみにと、沖縄では赤貝の剥身の缶詰を「ホーミ」というと先輩に教えられつつ近くの商店までいそいそと買い求めに行く訳だが、
「ホーミの缶詰一つと泡盛の3号ビンを一本下さい」
という私に対して、店のオバさんは(やれやれ)と言った風情で、
「また男子寮の新入生ね?」
と問われたものだった。
ホーミが、女性の体のある部分を指すという事を知る様になった2年次には、男子寮が移転してしまったために同じ様な教育が出来なかった事を今でも残念に思っているのである。


さて、その想い出と少しテイストは変わるのだが、観光に訪れた友人やたまに知り合う観光客に対して「パイナップルがどのように生えているか知っているか?」と聞いてみた所、意外と正解が少なかった事を憶えている。そう、殆どが「木になっている」と答えたのである。南国の沖縄故に、南国情緒を醸し出すヤシの木の様な木の枝にパイナップルがぶら下がっているというのが自然な絵なのかもしれない。
かく言う私も、パイナップルと言えば缶詰でしか見た事が無い当時、沖縄に移り住むまではまさか畑に生えている等と想像もしなかったのである。

この例が良いか悪いのかは分らないが、毎日口にする食べ物に対する知識は、残念ながら現代の消費者には圧倒的に不足している。魚の名前や元の姿形、肉が肉になる過程、食べられる植物とそうでないもの...。これらの知識のほぼ全てを消費者に変わって生産者や流通が代行してしまっている。そして特に流通業者に対して、我々は全幅の信頼を無条件に与えてしまっているのではないだろうか。スーパーで売られているから安心、ラップで包んであるから汚いはずは無い等々。

このブログの古くからの読者の中には、春の土筆や夏のサザエに関する記事を読んで頂いた方もいると思うので、まるで私が横浜で一部狩猟農耕生活でもしているのかと思われかねないが、自宅前に自生している木に実ったビワが丁度食べごろになっており、2〜3日置きに下の娘と一緒に採集して有難く頂いてる。私が木に上りながら手頃な実がついた枝を見つけてそれを娘が届く高さまで引き下げ、下の娘はそこについた実をもぎ取ると言う役割分担まで出来ている。

実が沢山ついたビワの木


このビワの身は実に甘酸っぱく美味しい野性的な味がする私たちの大好物なのだが、ところが我が家以外に、この実を取った形跡が全くないのである。いや、実は我が家の中でも私たち二人以外には手をつけようとしない。スーパーで買えば4〜5個入った1パックでも結構な値段がするものが、目の前に生っているのに、である。

収穫の成果


最近のニュースの中で、日本が野菜工場の技術では世界で最も進んでいるとう報道があり、イチゴやレタスやトマトを美味しそうに食べている首相の画像が目に留まった事がある。
無菌の工場で人工のライトによって発育を促す野菜工場は、例えば南極や砂漠や宇宙船等でも応用出来るとの事だが、本当にこの技術が必要になるか否かの議論に対しては、毎日何万トンもの残飯を出し少し形が悪い虫が喰っているからと立派な野菜が屑野菜とされてしまう今の日本の中では、私にとっては虚しいものに思えてならず、何故か子供の頃に発売された即席のカップ麺の肉が実は石油から出来ているという荒唐無稽なうわさ話に回帰させられてしまうのである。

首里の男子寮で、残飯を出す位ならと餓えた18才の私に余った食事を分け与えてくれた、あの賄いのオバさんに出来る事なら会って御礼が言いたいと思う。我々現代人は無菌の工場野菜を考える前にまず、食べ物に向き合う姿勢その物を変えた方が良いのではないだろうか?

トップ写真:首里の男子寮裏にある龍潭池。私の友人は水深数10cmのこの池で泳がされた事があるという。