ミーカガンの泡

「ミーカガンが出来たよ、お風呂で試すから一緒に入ろう」


と、久しぶりに下の娘との入浴。私の手には、今年になって知り合った方に譲って頂き、自分の眼に合わせて少し細工したミーカガンが握られている。
モンパノキで出来たミーカガンは私の様な素人にとっても加工や刃物での微調整が容易で、連休の谷間の休日と言う事も相まって我を忘れて熱中した。


レースと言う形でサバニに触れる様になって今年で、5年目。それまでは全く興味がなく憶える事さえ苦痛だった木材の名前に否応無しに触れる機会に頻繁に遭遇する。

前述の様にミーカガンはモンパノキ(沖縄方言でハマスーキ)を材料とするが、例えばサバニの船体は宮崎の飫肥杉、フンドゥーはイヌマキの木、順風の皆さんに新調して頂いたウシカキーと呼ばれるマストを立てる構造物は白地が美しいヒバの木、そしてエークを作るのは本来はイークの木(モッコク)、と使い古されたスポンジではあるが必要と興味に迫られながら次々と知識を吸収して行く。


ちなみに内地の船大工に依頼して誂えた私のMy舵エークは楢樫で出来ている。何時かはモッコクのエークを持ってみたいと思うものの、舵エークを削り出す為のイークの木は中々見つからないばかりか、見つけたとしても多くの場合が行政によって保護されていると聞く。それならばと、昔の海人の風習に倣って息子の為に今から何処かに苗を植え、20年後には30歳になる息子に、父親である私が恐らく果たせないであろう夢を託そうかなと考えてしまう事もある。


この様に、植物と言う視点に立って沖縄の文化を見つめ直してみるのも非常に面白い。久米島紬や芭蕉布、ミンサー織りといった織物も、ヨモギの苦みを利かせたフーチバージューシーや言わずと知れたゴーヤーやヘチマ等のチャンプルーの具材に代表される食文化を見ても、琉球地方における暮らしと植生との共生の完成度やその伝承の密度を改めて認識する事となるのである。
サバニ帆漕レースは、20数年来の大学時代の同級生との頻繁な行き来や会話を私にもたらしてくれた。また、サバニを通じで新しく出会い、そして親交を交わしてくれる多くの人々との造船や艤装や操船に関する尽きる事のないサバニ談義。
次は、長年に亘って小さな植物園で植物の植生を研究し、採取して自ら作成した標本を世界中の研究者と交換し合っているという父親との、植物談義をもたらしてくれるかもしれない。


まだ春浅き神奈川の海に入る機会は少し先であるため、自宅の浴槽でミーカガンを装着した私は、鼻をつまんで頭を完全に水に沈める。沖縄での大学時代からその存在は知っていたものの、現物を手に取るのも、ましてや水に入るのも始めての経験である。

見事に水漏れのない、この古くから伝わる木製ゴーグルの想像を遥かに超える完成度に湯船の中でしばし絶句する。自分の眼に合わないゴーグルを装着した時にある様な多少の水漏れは覚悟していたのだが、それは嬉しい方向で見事に裏切られた。

ミーカガンでブログを検索すると、恐らく同じソースをアレンジしたであろう似通った説明文が沢山ヒットするが、中には極めて古い年代物のミーカガンの写真を見つける事も出来る。灼熱の太陽に照らされる熱帯の海で、この様に何十年間も酷使される事の出来るシリコン製のゴーグルが、この現代においても存在するとは到底思えない。


「遊びでサバニを漕ぐのか...、良い時代になったもんだ」


と、サバニレースの事を知った老人が呟いたと言う話を、どこかのブログで読んだ記憶がある。また、漁の最中、沖で立ち泳ぎをしながらあまりの辛さにミーカガンの中の空間から涙が溢れ出たと言う記事もあった。
そんな過酷さとは、また別の過酷さに支配された時代に生きている私はと言うと、浴槽の中で小さな膝をきちんと揃えながら、サバニにますます惹かれて行く父親の風呂場での奇行を上から眺めている小さな娘が何を思うのだろうかと考え、思わず吹き出してしてしまいつつ湯船から顔を上げる。


「お父さん、水はいった?」
「いや、全然」
「いいなぁ、私も欲しいなぁ」
「もう少し大きくなったらね」


丁寧に丁寧に細工を施し、宝物の様に扱っているミーカガンが、小さな娘にはよっぽど良い物に映っているのか。次は、洗面器を裏返して湯船に沈め水中でひっくり返して泡を出す要領で水密性を再度試すのを、二人で眺めた。空気が抜けない様にそっと沈めたミーカガンを裏返すと、まるで涙の雫の様な小さな泡が2つ、ゆっくりと上がって来て消えた。

トップ写真:ミーカガン