心の通った政(まつりごと)

大学を休学し、放浪の旅の行く先として選んだスペインで最初に滞在したのはマドリッドのアトーチャ駅近くの古ぼけた民宿だった。そこは私にとって始めて訪れた外国であり、その意味では外国の原風景ともなっている街並を今でも恋しく思い出す事がある。その当時から、首都マドリッドの経済の中心は、本来の街の中心だったプエルタデルソルから少し離れた北の地区に移りつつあった為、アトーチャ駅周辺は既に下町と呼んでも差し支えない風情を持っていた。

家族を伴って15年ぶりにマドリッドを訪れ、アンダルシアに移動する為にアトーチャ駅を利用した際には、昔の面影もない程に近代的に変貌していた佇まいに少なからず驚いた記憶があるが、その数年後にアトーチャ駅がテロリズムの標的となり近郊に住む主に労働者層から多くの死者を生む事になろうとは予想だにしなかった。


スペイン在住の友人から、まるで筆圧が感じられるかの様な電子メールが届いたのは事件の数日後の事であり、そこには以下の様な主旨の事が記されてあった。

「献血の呼びかけに呼応した市民の列はすぐに2時間待ちになり、もう充分であるという報道が何度と無く繰り返された。遺体安置所に向かうタクシーも、パン屋の公衆電話も自発的に無料になり、雨の中傘もささずに皇太子や王女が230万人に上るデモ行進の先頭に立った。
犠牲となった労働者層の中には主に南米からの不法移民が含まれており、不法滞在の発覚を恐れた人々の多くは愛する家族の亡骸を前にして病院に近づく事も名乗り出る事も出来ないでいた。それを聞いた在西コロンビア大使は、心配する事は無いから出て来なさいとテレビで繰り返し呼びかけた。それでも名乗り出る事が出来ない彼等に対して、なんと王室と当時の政府はスペイン国籍を与える措置に出た」というのである。


これは一国を揺るがす大事件に対する国家的措置であり、一概に比較する事は適切ではないと理解しているが、日本で普通に生まれ育った中学生が、不法滞在していた両親と引き離されて暮らさざるを得なくなるという報道を耳にするにつれ、決して不法滞在を許すべきであるとは考えないにせよ、あの時のスペインの政治家の決断を思い出し、心のこもった政治とは何かと考えされられるのである。

トップ写真:不法滞在の親にとっては自業自得とはいえ、子供には何の罪も無い筈である。