農業にビジネスモデルは必要か


継続して購読している大西宏氏のマーケティングに関するブログに農業を考える良いきっかけになる記事が掲載された。いつもは、教わったり気付かされる事が多い氏のブログではあるが、農業に関しては私はほぼ逆の方向性であるべきだと考えている。これを機会に少しまとめみたい。
氏は生産のリスクや市場のリスクを避ける為には、生産、加工、販売が一体となった仕組みが必要になると述べている。その担い手となる可能性を持つのが複数の販路を持つ事でリスクヘッジ可能な流通・卸売業者ではないかという。

まずはこの点につられてみるのだが、大手スーパーマーケットと契約した顔の見える農家が、不作凶作に関わらず「年間あるいは複数年」に亘って取り交わした契約通りに品物を納めざるを得ない事の弊害は強い。どれほど豊作であっても契約を超える利益は上がらず、また不作であっても商品供給の責任は残るからである。
氏の理論を歓迎するのは当の流通業者と、リスクを背負う事を嫌う農家だけであり、実際に流通卸売り業者は、商品の安定した供給を自ら保障する為に生産者の取り込みを始めていてもおかしくない。農協がこの場合は珍しく牽制勢力として良い影響を与えられる事が皮肉である。
日本の農業と林業は、戦後の誤った農林政策によって、地域とともに疲弊して行った。自らの考えやビジョンに基づいて米から脱却し、例えば梅や栗、最近では妻ものに特化した農家が成功を収めている事から考えても、国による米偏重の農政が今日のあまたの問題を引き起こしている事は明白である。
流通や卸業主導による生産調整が現実になった場合、農産物の価格や、そもそも販売される農産物の種類までもが、彼らの判断に左右される事になりかねない。

氏は、産業化の議論に於いて、米国の農業を農薬や遺伝子組み換えのリスクを伴う危険なものであるとも述べているので、必ずしも目指すべき産業化がアメリカ式であると考えていない事は理解出来るが、私の知る狭い視点の範囲のアメリカの農業の全体像は以下の通りである。

自らの過剰なエネルギー消費の見直しや、他国の進んだエネルギー産出技術(例えば我が国の風力発電等)からの学習こそが、今の米国が第一に取り組まねばならない事であるにも関わらず、脱石油と言う名の国を挙げての脱中東政策によって、本来は食品として或は家畜の飼料として使われて来た穀物は、バイオエタノールという燃料に化けてしまっている。10%〜20%の飼料の高騰でさえ強いインパクトを受けるという我が国の畜産業界は、今や実に200%を超える飼料の値上がりに絶句しているのである。水が無尽蔵であるかのように浪費して来たラスベガス近郊の湖は干上がり、また地下水の枯渇という深刻な問題が顕在化した中部地方には、もはや穀物を生産する事もままならない荒れ果てた不毛な農地が果てしなく広がる。一方では、自国の牛肉の輸出額を減らさない事が畜産業会を健全に保全する事であると、日本の調査捕鯨に対して反対の異を唱える。その鯨といえば、百数十年の昔に、油を搾り取る対象として文字通り湯水の如く無尽蔵に乱獲を重ねた結果、種レベルで急激に資源枯渇させてしまったのである。
始めて訪れたシリコンバレーのレストランで注文したチキンの付け合わせには、家族5人でも充分な量のブロッコリが一房そのまま供された。店側は、もちろんこれを一人で食べきれるとは思ってはいない。これがアメリカの農業と畜産業の現実なのである。

日本の食の安全を保障する為にも、例え非常な困難を伴うものだったとしても、農業だけは非グローバル化の方向に進むべきではないか。私は氏の言う、生産〜加工〜販売の一体化ではなく、生産と消費の一体化こそが鍵を握るのではないかと思う。

これは、都会に住む農業の「の」の字も知らない素人が自ら田畑を耕すべきであると言う短絡的なものではない。体験農業等によって田んぼに入る事は、自らの血肉となる食品に対する理解を深めると言う意味からも、また食料生産や食品を通じて人々や地域間の交流が促進されると言う意味からも良い事だと思うが、ここでいう生産者化とはそう言う意味ではない。
生産と消費の一体化とは、消費者が自らが選択した農家と連携する事によって、産消の垣根を無くす事である。農家は、生産体制の維持や品質の良い農産物の供給をコミットする為に必要な資金を、商品の代金と言う形だけではなく、出資金と言う形で集める。この点では消費者が従来の農協の役割の一部を担う事にもなる。一方で農家は、自らの傘下にある消費者の集団の為の生産代表となる。
双方は、ITを活用する事によって充分な情報の交換と共有を計り、不作や豊作のメリットもリスクも、生産者と消費者間でシェアするのである。生産と消費を繋ぐ為の物流コストが最大の障壁になるものの、顔の見える野菜、とは本来はこういう物であるべきではないか。

トップ写真:始めて手伝った米の収穫。母親の生家、壱岐にて。新米の美味さを始めて知った日でもある。