SONYの土俵

確か新宿に向かうJR中央線だったと思うが、電車の窓の外を流れ去る景色と、その景色を漫然と眺めている自分とを、ウォークマンから流れる音楽がBGMとして包み込んでいた。あたかも映画のワンシーンであるかの如く、何の変哲も無い日常の1シーンを一つの小さな家電製品が変貌させる驚きは大きなものだった。

少年時代から格好良い家電製品イコールSONYというイメージを抱き続けていた私は、「テレビは高付加価値より値頃感で勝負する」というダイヤモンドオンラインに掲載された中鉢社長のインタビューに失望させられた。値頃感こそが消費者が求めているものだとする中鉢氏の談は、家電製品マーケットを長きに亘って牽引して来たSONYが、あたかもそれまでの老舗の暖簾を捨ててファーストフードビジネスへの転換を計るイメージを連想させる。

ラジオを持ち運べるようにし、テレビを普及させたSONYは、結果としてアップルが実現する事になってしまうウォークマン音楽配信の融合を出井社長時代に構想した。

本来SONYが戦うべき土俵は、価格のみが重要視されるマーケットでは無い筈だ。かと言ってそれは、テレビの薄さを追求する他者との技術的な競争でもない。薄くする事は言い換えれば「手段」に過ぎず、薄くなったテレビがどのように使われるのかという「目的」を見失っていては、ラジオやウォークマンの感動を再び消費者に与える事は出来ない。テレビをどうするか、これからのテレビに求められる事は何か、SONYのDNAをもってすれば消費者をワクワクさせる様な回答を導き出す事が必ず出来る気がするのである。

インターネットの普及による広義のコンテンツの多様化は加速する。と同時に、インターネットはパーソナルコミュニケーションをも変貌させつつある。
PCとテレビの中間的な製品は存在するが、テレビとビデオ(テレビ)電話システムを融合させる事は出来ないのだろか?SONYのテレビを持つ離れた家族同士が、下らない番組を映す代わりに大画面でコミュニケーションを取るのである。日本のテレビ会議システムマーケットにおいてSONYは、世界標準とも言えるPolycomTandbergに対抗して立派なシェアを堅持している。その技術とノウハウを今も昔も家庭の居間に鎮座しつづけるテレビに投入し、文字通りの家庭の映像ポータルとするのである。