さらば兄貴


下の娘を中心に、せっせと子供たちが手作りで準備したパーティが佳境になったクリスマスイブの夜、訃報は唐突に訪れた。

父親の仕事の関係で高校時代に同じ職員寮に住んでいたその方との最初の接点は、阪神タイガースだったと思う。思春期の私には眩しい位に美しい奥方と、私たち兄弟を慕ってくれる可愛い息子さんとの3人家族のそのご家庭に、巨人戦にのみチャンネルを合わせる我が家から抜け出して、いつしか阪神戦を見る際にはいつもお邪魔するようになってた。

その後、故郷亀岡を出て沖縄を起点に海外を彷徨っていた私は、母親からの便りでその方が小さな地方都市亀岡で新聞社を立ち上げられた事や、市議会議員になられたという事を漏れ聞く程度の、付き合いとも呼べない程の接点しか持っていなかったが、私がケーブルテレビに関連する仕事に携わるようになり、その流れで地方紙との関わりを持つ様になった今年になってようやく、その方が経営される新聞社を訪ねる事になった。そして、それと同時に知ったのが彼の癌との闘病生活だった。
20数年来の無沙汰を許して頂き、巡り巡って同じ仕事の領域で再び出会えた事を喜びつつ、少し痩せてしまったその方とディスカッションを重ねた共同ビジネスの準備がやがて整おうかという、まさにそのタイミングでの急逝に言葉を失っている。

もう少し話したかった、もう少しだけでいいから意見を聞きたかった、それも二度と叶わないのが人の命。寿命を全うして召される場合を除いて人間に死に時など存在しないと解ってはいても、私にとってあまりに理不尽な兄貴分の死に、深い悲しみに包まれる。

心から冥福をお祈り申し上げます。