ウェブアプリケーションの台頭がもたらす物


Gmail繋がりで少し考えてみた。

写真の管理、メール、RSSリーダ、Office互換書類、カレンダー、メッセンジャー、ウェブサイトの作成、そしてウェブブラウジング...。ビデオ編集や画像作成等の比較的複雑且つコンピュータの処理能力が必要とされる類のアプリケーションを除いて、凡そ殆どの、特にコンシューマレベルでの日常的なコンピュータによる処理はGoogleの環境で完結してしまう。しかも、保存領域の追加購入をしないという前提であればそれらすべてが無償で提供される。

一部の分野のソフトウェア産業は根本的に成立しなくなり、質の良いインストールベースのビジネスモデルに立脚していたパッケージソフトウェア会社は吸収されて姿を消し、その資産はブラウザを介して無償で提供されて行く。ウェブアプリケーションによる同じ操作性、同じ処理結果という事実が示す物は、もはや端末のOSがもたらす実質的な影響力が従来と比べるまでもなく低下している事であり、その流れは加速する事はあっても衰える事はないだろう。


かつて、計算機の処理はメインフレームや高価なUNIXサーバで集中的に行われ、利用者はダム端やテキストベースのエミュレータといわれるソフトウェアを使って指示を出したりその結果を得ていた頃があった。
90年代になると計算機の能力が向上して小型化し、その事によって処理の役割が徐々に端末に委譲され、いわゆるオープンシステムやクライアント/サーバ型の分散環境が流行した。Novell社のNetware等はその典型だろう。一方、サーバにはデータの集中管理や安定性が求められると同時に、ウェブサイトという新しい役割が与えられた。
これらの背景には、ネットワークの広帯域化と無線環境の浸透が寄与している事は言うまでもないが、2000年代後半になってからのネットブック等の携帯端末とウェブアプリケーションの普及によって、90年代以前のサーバ集中型の処理形態が一部復権し、またそれまでレガシーなメディアとは接点が無かったコンピュータネットワークが映像配信のインフラとして認知される事となった。極論すれば個々の端末が、軽快で高機能なブラウザと動画のコーデックさえ備えていれば困らない時代になっている。


歴史は繰り返すと言う格言を無理矢理IT業界に当ては考えるならば、もしかすると、サーバ集中型<->端末分散型と交互に訪れる波を理解して対処する事が、ソフトウェア産業の生き残りの鍵になるのかも知れない。