秋雨に濡れて〜熱きシーズンの終わりに〜


東京ドームでの巨人との直接対決に勝利し、昨年我が阪神タイガースが猛烈な追い上げの後の失速に見舞われた様に巨人がその後のヤクルトとの連戦に連敗するという前提に立った場合、優勝が決まるかもしれないという10月10日の横浜ベイスターズ戦のチケットを入手した懲りない私たち親子は、恐らく雨は降らないだろうという天気予報に気を良くしてそそくさと今年最後の野球観戦に出掛けてきました。
前日の巨人の勝利によってその日の優勝の可能性は消えていたものの、金本と関本のホームランによる3点差をバックに好投を続ける下柳に、また巨人に先制されたヤクルトが同点に追いついた事を告げる電光掲示板に、喉を潰さんばかりの声援を送る3塁側スタンドと同化した私たちは、「決して諦めないぞ!」と意を決して目前の試合の勝利の瞬間を待ち続けていました。

四球からの連打で1点を入れられて降板した下柳に続いて、満を持して登板したアッチソンから村田が放った打球が私たちの目の前の上空を暫し漂った後、スローモーションの様にレフトスタンドに吸い込まれるのを、同点そして逆転のランナーがゆっくりとホームベースを踏むのを呆然と見送りながらも、ここで横浜に負ける筈がないという根拠も何もない考えに支えられて、最後のバッターになってしまった新井選手の打席に至るまで気を送り続けていたものです。
横浜スタジアムでは多くの野球ファンが携帯電話で巨人戦の動向を調べていた為か一時的にサイトに繋がらなくなっていたためにその時は判らなかったのですが、実際には巨人が先に勝利を収めていましたから結果としてはこちらの敗戦が決まった時点で、巨人が球史に残る大逆転優勝を収めた瞬間を目にする事になってしまった事になります。


さて、翌日から早速始まったのは、予想通りと言うかお約束の様な岡田バッシング、そしてそれに続く岡田監督の辞意表明の報道。

もちろん、優勝間違いなしと言われていたペナントレースを逃してしまった事は私たちにとって残念極まりない事であり、そしてそれを勝ち取ったのが金満球団である事はこれ以上ない程に悔しいのですが、そんな私たち以上に悔しく哀しい思いをしているのは自他ともに認める熱烈な阪神ファンでもある岡田監督かもしれません。
以前もここに「大人になって野球の見方が変わった」という主旨の文章をエントリした事があります。それは、子供の頃には感じる事のなかった選手の人生というものを、40数年の私の人生が与えてくれた経験から少しは想像出来る様になった事が要因の一つである事は間違いありません。が、岡田監督の辞意表明を知った今考えるのは、もう一つの大きな要因が、岡田野球の、岡田監督率いるチームの野球の面白さだったのかもしれないという事です。

今や伝説的に語られる首位争いまっただ中の中日戦(2005年9月7日)で、マウンドの久保田に歩み寄って話したと言われる「むちゃくちゃ投げろ、責任はわしが取る」といった解る様で解らない台詞を始めとして、毎日のサンスポの記事による岡田語録に笑わせられた事、二軍監督時代に自らが育てた選手のみならず個々の選手の記録を大切にする気持ちが溢れる様な采配、そして暗黒時代には決して見る事の出来なかった選手が流す悔し涙や迸る気迫。
月並みな言い方ではありますが、不惑を過ぎた私をこれほどまでにプロ野球に熱中させてくれ、そして子供との楽しい時間の数々を与えてくれた岡田監督には出来ればJFK不惑トリオの総決算を来年やり直して貰いたいと思う事はあれども、逆転準優勝の責任を取れと言う気持ちには到底なれないのでした。


息子曰く、「お父さん、なんで岡田監督は辞めちゃうの?貯金25近くもあげた監督なのに?」。星野時代をかろうじて憶えている彼にとって、岡田監督は将来に渡って記憶に残り続ける最初の監督になるのでしょう。

トップ写真:秋雨を吹き飛ばすかのごとく盛り上がる三塁側スタンド。写真中央には仕事仲間(というより虎キチつながりの友人)が写っているのですが...。