敗者に対するいたわり


時差が殆どない関係でリアルタイムでテレビ観戦する機会が多かった中国でのオリンピックゲームも終わり、ヨットやカヤック等の放送に対する不満は大いに残ったものの、近年になく実に様々なスポーツの最高峰のパフォーマンスを見る事が出来た様に思います。


その中でも、マリンスポーツや武道と同じ位に野球が大好きにな私にとって、今回の星野ジャパンの完敗は何とも後味の悪い消化不良の様な結末となってしまいました。実は、柔道の谷選手が金メダルを逃してしまった事に端を発し、日本選手団としてそんな流れというか連鎖反応の様なものを最後まで引き摺ってしまったのではないかとも感じているのですが、もしかしてアナウンサーの言葉に影響されている点も多々あるかもしれないと感じつつも、それほど審判の誤審や不可解な判定が眼に映った事も事実です。特に柔道の指導の様に、積極的であるか否かのボーダーラインが曖昧であるが故に、審判の主観に勝敗が左右されてしまう事は見ている第三者にとって余り気持ちの良いものではない様に思われます。野球に関していえば、星野監督が「選手が可哀想だった」と言った事の真意も恐らくストライクボールの判定に関して感じられた曖昧さから来ているのだろうと言う事は直ぐに思いつきましたが、それも「流れ」に影響されたのではないかとも思うのです。

野球の敗因を分析したコラムやブログは沢山ありますのでここで敢えて取り上げる事も無いのかもしれませんが、私が目にした中でも少なからず共感出来たものを備忘録的に上げるとすれば、「世界の壁にはね返された日本野球」というスポーツナビのコラムと、野球が公開競技だったアトランタオリンピックでアマチュア選手による日本代表を金メダルに導いた松永怜一氏の指摘があります。プロとしてのプライドと、少年時代に四球や見逃し三振を悪い事として教えられて来た日本野球とが、選手のモチベーションやゲームの流れを悪い方へと循環させて行ったのではないかという意見は、他の競技や、もしかして別の世界の多くの事柄にも通じる所がある様な気さえするのでした。


私も大いに盛り上がった金メダルを確保したソフトボールに関しては連日上野投手の400以上に上る投球数のみが取沙汰されていますが、少しだけ見方を変えると2日間の合計投球イニング数は2回の延長戦を含めると12+9+7の28回となります。通常のソフトボールの試合が7回ですから単純計算で4試合ぶん投げた事になる訳で、これはプロ野球のピッチャーで言えば中5日で考えても24日分、つまりほぼ一ヶ月分の試合に相当するイニングをあの極限の緊張感の中で投げ抜いた事になります。
もちろんソフトボールと野球は別のスポーツですので、あくまでの例えでしかありませんが、全く危なげなく無失点の快投を続けるピッチャーが星野ジャパンに居たとしても、上野投手の様に決勝リーグで連投させるといった起用方法は有り得なかったのではないでしょうか。尤も、監督経験の豊富な星野氏の采配に私の様な素人が口を挟むべきものではありませんが、プロ野球選手としての生活の基盤が出来上がっている、或は将来性を期待されているスター選手をその様に使う事は有り得ないと思います。つまりは、その辺りのハングリー精神の違いもきっとあるのではないかとも思わざるを得ません。


さて、お約束の様にネットの掲示板では嵐の様な星野バッシング。何故、岩瀬やGG佐藤を使ったのか、何故ダルビッシュを使わなかったのか、にわか評論家が雨後の筍の様に出て来ています。挙句の果てにJOCの関係者までもが、「準備不足でオリンピックを舐めている、且つ選手村に泊まらなかったのが悪い」との批判を打ち出すに至っては、何故事後になって、今頃になってその様な事を持ち出すのかと理解に苦しむばかりです。日本でベンチャー企業が育たない理由の一つに、日本では失敗がすなわち悪とされる風潮があるためと言われていましたが、国を代表して精神をすり減らして精一杯戦って来た、兵を語らない敗軍の将に対する言葉としては余りにも血が通わなすぎるのではないかと思う訳です。
ここで武士道を云々するつもりもありませんが、敗者へのいたわりという観念が欠如し過ぎている様に感じるのは少数派なのでしょうか...。しかも、その敗者と言うのは敵の将ではなく、皆が期待し、声をからして応援していた味方の総大将だった訳ですから。

トップ写真:2016年の再開をと、メダル獲得チームで記念撮影。ソフトボール。