水の事故


海の日の日曜日には子供二人を連れて、未だ昭和の面影を残す逗子の市営プールに行って来ました。ようやく顔を水につける事に慣れて来た次女や、決して上手ではないものの何とか50m以上はクロールで泳げる様になって来た息子を伴って、私はと言えば医者から運動を奨励されている事はもちろん、最近の運動不足の解消や来年のサバニ帆漕レースへのトレーニングをかねて、休日は近隣のプールに出掛ける事があります。
逗子のプールは、水が流れるループ状のプールや、幼児向けの極浅いプール、そして25mと50m(現在は改修中)のプールといった名実共に幼児から大人までが楽しめるバリエーションに富んでいるにもかかわらず、利用料金は大人200円、小学生100円、幼稚園児は無料、駐車場も無料と、大変リーズナブルな施設です。それにも増して、昔からの年季が入った設備が大切に使われていたり、プールの出口の正面にアイスクリーム等を売っているちょっとした駄菓子屋的なお店があったりと、その雰囲気も大変気に入っている施設でもあります。


この様に、私にとっては非の打ち所がない逗子のプールではありますが、一方一年を通じて頻繁に利用する金沢区のプールや、東京は田町のプール、昔通っていた会員制のプールや目黒の屋外プール等のどれをとっても、スイマーのマナーの悪さに閉口する事が多々あります。


先ず、コース途中で立ち止まる事や逆行は論外だとしても、泳ぎ終わった人がコースの終端に固まってしまってきちんと最後まで泳げない事があったり、また明らかに泳力が違う(後ろを行くスイマーよりもずっと遅い)にも関わらず我関せずで決して他人に先を譲らない人が多々います。ここ10年近くプールに通っている私の経験から言えば、そういったマナーをきちんと理解している人は10%にも満たない様な気がします。
もしかして、こう言った私の感覚が間違っているのかもしれませんが、私なりのあるべきマナーと言うのは、コースが右回りの往復であると仮定して、

  1. 泳ぎ終わって休憩する人は、終端(向かって左側)に固まるのではなく、スタート側(右側)のコースロープに沿って並ぶべき
  2. 自分よりも速いスイマーがいるかどうか気にしつつ、連続して泳ぐターンの時には自分の後ろが渋滞しているか確認する。詰まっているようであれば速いスイマーに先を譲るべき

だと思うのです。これれは、泳いでいる他の人の事を少しでも考えれば誰もが当たり前に思いつく事である筈ですし、それを実行する事は大して難しい事でもない筈です。皆さんは如何お考えでしょうか?

さて、残念ながら今年も水の事故が相次いで起こってしまった海の日、あるプールでの事故を知らせるTVニュースを見て考えてしまいました。泳ぎが余り得意でない小学校低学年の子供がコースロープの様なもので区切られた深い方のプールに入ってしまい残念ながら亡くなってしまったと言います。そのニュースについてコメントをしていた何人かの訳知り顔のコメンテータ諸氏は、

  1. 何故、溺れている子供を発見出来なかったのか?
  2. 監視員はアルバイトばかりだったが、その事に問題はなかったか?
  3. 水面上のロープだけでは深い箇所と浅い箇所を仕切るのは不完全ではないか?

と、プール側に非を押し付ける論調のコメントで統一されていました。
私はこれは全くの間違いだと思います。一つのプールに100人以上の大勢の利用者がいる様な場合、ましてや件の子供は仕切りのロープを潜って深みに入った可能性があり監視員がそれを発見するのは大変難しいと思います。アルバイトばかりだったという点については、今の日本でプールの監視員を本職として一年間を通して生活出来るだけの収入を得る事が可能だとでも言うのでしょうか?水面の仕切りについては、議論が分かれるのかもしれませんが私は30cmの水深で溺れた人を知っています。
同年代の子供を持つ同じ親として、楽しい筈の夏休みのプールの事故で子供を亡くす事は、想像するだけで胸が切り刻まれる程の痛みや悲しみを伴う地獄の出来事である事は想像に難くありません。が、この類の事故の原因の殆ど全ては、やはり保護者と子供が一時的であるにせよ離れてしまった事、につきるのではないかと思うのです。水の事故は一瞬にして起こり、そして多くの場合は取り返しがつかない事が多いものなのです。

片時と言えども子供から目を離さない事、万が一眼を離さざるを得ない場合は例え足の先であっても水に触れてはならないと徹底して伝え教える事、海水浴の場合は必ず保護者が沖側にいる事またライフジャケットを着用する事、大人の場合は飲酒をして水に入らない事、等が基本の鉄則だと思うのです。


そんな折もおり、東北は福島で高校の1年生のレスリング部員がプールから飛び込んだ際に頭を打ち亡くなった事を受けて、プールでの飛び込み禁止との通達が出されたとの報道(河北新報)がありました。水泳大会を控えた水泳部員も飛び込みの練習が出来ないのです。全く、日本の行政は何故これほどまでに規制や管理を好み、日本人は責任の転嫁を好む様になったのでしょうか。
高校生が亡くなったのは、プールのせいでも学校に責任がある訳でもなく、教育委員会に落ち度があるからでもない筈で、これは事故以外の何物でもないのではないでしょうか。これは、交通事故が起こったから道を歩いては行けないと言っているのとどう違うのでしょう。日本の行政は、国民を温室育ちの腑抜けにしたいとでも考えているとしか思えませんし、この福島県の教育委員会の措置は、愚の骨頂といっても決して言い過ぎではありません。


逗子のプールで息子が「お父さん、プールのあの辺りに水を吸い込んでいる所があるので、妹の事気をつけてあげてね」と言うのを受けてその吸い込み口を見てみました。とても人間が吸い込まれる程の大きさはなくしっかりと固定式の格子がつけられていたため危険はないと判断はしたものの、排水管を掘り起こして遺体を発見した救急隊員も泣き崩れたという悲しいあの事故の記憶は、小さな子供達なりに心の中に残っているのだと知らさせる事になりました。

トップ写真:子供達の歓声や笑い声が絶える事のない逗子のプール。逗子市ホームページより。