かしわ三兄弟


ここ1〜2年は仕事の関係で九州に出張する機会があり、その都度、遠い昔の少年時代に過ごした九州の想い出が次々に甦ってきます。今は亡き祖父と二人で阿蘇の山々を訪れ別府の街並を散策して回った事、またこのブログでも何度か触れた長崎は壱岐の島での煌めく時間の数々。今日も東京の日本橋のビルで打合せをしながら窓の外を眺めつつ、盛夏を迎えようとしているこの季節は、否応無しにビルの谷間からのぞく小さく切り取られた空があの日の夏の想い出の土地に繋がっている事を私に考えさせます。
7月8日のエントリでは、相対的な話ではあるにせよ地域のブランディングが完成・成功しているとはまだまだ言い難い九州の事や、行政主導の観光施策が必ずしも正しいブランディングに繋がらない可能性がある事に触れましたが、今回は私なりの、或は見聞きした事も含めて、九州のイメージ作りにチャレンジしてみたいと思います。


今回は、食。

野菜や魚、ラーメンや焼酎、どれをとってもとても1回のエントリでは語り尽くす事が出来ない事柄があるのですが、先ずは地鶏に焦点を合わせて考えてみます。
私の中での地鶏は、顎が疲れる程に固いかわりに噛めば噛む程味があり、また実に深みのある出汁にもなるものという風に定義されています。そう言う意味では、産地偽装で有名になってしまった所謂ブランドものの地鶏と言うよりもむしろ、もしかすると名もない地鶏を使い、その土地土地の風土気候に合った長い時間をかけて育まれて来た料理そのものに価値があるとも思う訳です。

そんな私の中での地鶏料理のナンバーワンは、壱岐の島の「ひきとおし」という料理です。名前の由来は地元の親戚に聞いても余り明確な答えが返って来ないのですが、もてなした客を「ひきとめる」がそれであったり、客を奥に「ひきとおす」であったりもします。簡単に言えば、甘辛スープの鶏牛蒡炊き込みソーメンとでも表現すべきこの料理についてウェブで検索すれば、鶏肉が最高の贅沢であった頃の料理であるとの記述が見つかりますが、むしろ砂糖が贅沢だった時代に砂糖をふんだんに使った料理だったという親戚から聞いた説の方がしっくり来る様な気もします。

小さい頃の母親の実家での夏休み、篭に閉じ込められている鶏を逃がし、庭で追いかけて遊んでいて叱られた事があるのですが、その鶏を夕刻前に祖父や伯父さんが捌く訳です。首を捻ったり藁を燃して羽を焼いたりと、子供ながらにそれは充分に残酷な光景でした。従兄弟の中の一人は、この体験が原因で鶏を食べれなくなったものです。私はと言えば、その従兄弟の様なデリケートな面は持ち合わせていなかったようで、当時から今に至るまで私にとって「ひきとおし」は常に大好きな料理の筆頭に来るものであり続けています。


最近ちょくちょく訪れる機会のある宮崎での「地鶏のもも焼き」は、私の中で急激にランクが上がった地鶏料理です。初めてその料理を見た時には「真っ黒に焦げてしまった失敗料理か?」と思ったものですが、炭火で焼かれ小さく切り分けられた鶏肉にたっぷりのゆず胡椒をつけて頂くその一切れ一切れが焼酎の美味さを2倍にも3倍にもしてくれます。
先日は、旧友の案内で新しくオープンしたばかりだという「太一(鳥炭火):宮崎市中央通80-6、0985-23-7207」でそのもも焼きを堪能してきました。落ち着いた雰囲気の店内は、おいしい料理と酒、そして旧友との会話をより楽しい物にしてくれます。昨年連れて行かれた有名どころの店では時間制限という大変生意気なルールを設けている事もあり、次回も是非太一にお邪魔したいと思いました。

写真上:鶏のもも焼き。写真写りが良くないのですが実に美味い一品でした。写真下:この様な見事な野菜も炭火焼にしてくれます。


さて、最後は地鶏料理と言うよりもむしろ、鶏の唐揚げの進化系とでも言うべき各地の創作料理です。一つは以前もこのブログでご紹介した「とり天」。これは天婦羅にした鶏肉を酢醤油とカラシで食べるもので、程よく味がしみ込んだ普通の唐揚げも捨て難いのですが、大分では必ずとり天屋に立ち寄る事にしています。もう一つは宮崎の「チキン南蛮」。南蛮という名前ではあっても鯵の南蛮漬け等の様に酢を基調としたたれに漬け込むのではなく、マヨネーズベースのソースを上からかけた料理です。先日は旧友の奥様の心が込もった手作りのチキン南蛮を頂く事になりましたが、この様な地域の料理人の創意工夫が郷土料理として定着し、家庭家庭の味として伝わっていくという素地こそが地域のブランディングの源なのではないかなと、少し過ぎた焼酎に酔っぱらいつつも夜遅くお邪魔した旧友の家の食卓で考えたのでした。

トップ写真:宮崎市で60年続いていると言う老舗ショットバー。小林亜星作曲のサントリーウィスキーのCMソング「人間みな兄弟」のメロディーが似合うバーのオリジナルカクテル「Yellow Garden」は、少し私には甘酸っぱさが残り過ぎる酒でした。