偉大なるかな1454敗


【以下の内容は、あくまでも私の想像や友人との会話から得たアイデアを元にまとめたものであり、実際の取材等に基づくものではありません。】

野村監督が阪神の監督に就任して先ず驚いた事が選手とタニマチの関係だったと言います。若手選手が大阪の夜の街に頻繁に出掛ける事が、選手生活に良い影響を与える筈はなく、結果として将来を有望視されていた選手がチャンスを活かせぬまま引退していった事の裏側にはひょっとするとこういう事情があったのかもしれません。ただ、折角の選手との付き合いと言う楽しみを奪われた方も面白くないはずですし、中には恐らく関西の経済界で強い発言力を持つ様な人も居た事でしょう。そこで野村監督は彼らに対して「夜の街に選手を呼ばないで欲しい、その代わりに自らが皆さんとお付き合いさせて頂く」と話したのではないでしょうか。これは、有名な「ささやき戦術」のネタを仕入れるために、東京であれば銀座、大阪であれば北新地に出向いてホステスから選手の私生活にまつわる話を聞き漁ったという野村監督ならではの発想だったのではないかと思います。


3年連続最下位という結果しか残せず、また夫人がニュースに取沙汰された事をきっかけに阪神を去っていった野村監督ではありますが、確実に今日の強い阪神の礎はこの3年間で築かれていたのだと思います。赤星、藤本らを見いだし、桧山や濱中を目覚めさせたのも野村監督の大いなる功績でしょう。


それを受け継いだのが闘将星野監督になる訳ですが、その就任の話を聞いた時は、辞任の時と同様に誰もが驚いた事だと思います。恐らく野村監督が作った土壌を受け継ぎ、チームを活性化させるには星野監督や例えば大沢監督の様なキャラクターが絶対条件だったのかもしれません。ファンのプロ野球離れが取沙汰されていたあの頃、関西の強い阪神が関東の強い巨人に挑むという構図が球界そのものの活性化のために必要だったとはいえ、長年慣れ親しんできた中日や中日ファンを敵に回してまで阪神の監督を引き受けるには、星野監督にはそれなりのモチベーションが必要だった筈で、ここにはそれ相応の「フィクサー」がいたのではないかと想像します。球界全体の事を考える事が出来、政治力もある阪神OB、となるともしかすると江本氏がその任に当たったのではないかと友人と想像してみた事もあります。


今年のペナントレース以上に独走態勢を固めつつあった2003年のシーズン、星野監督が「これでもし優勝出来なければ大変な事になる、日本に居れなくなるかもしれない」と話していた事を覚えていますが、もしかすると星野監督が恐れていたのは野村監督から引き継いだタニマチとの関係だったのかもしれません。


ヤクルト、阪神を強くし、そして今年は楽天を牽引して球団史上初のAクラスを目指す野村監督。1454敗という監督としてのプロ野球最多敗戦記録は、あくなき野球や野球界への愛情があったからこそ出来た、光り輝く記録であると思うのです。さて、野村監督が楽天を去る時に、後任の監督として推挙するのは一体誰になるのでしょうか。

トップ写真:甲子園球場での阪神戦、敗戦後ベンチ裏に引き上げる野村監督。