マイ正義と歪んだ主義主張

皆さんはイルカと鯨の違いをご存知でしょうか?
私の勉強が足りないか或は定義そのものが変わっていたとしたら申し訳ありませんが、私が昔教わったのは、イルカと鯨の間に明確な種としての区分がある訳ではなく、成体の体長が3mを超えるか否かによって俗称が違うだけだという大変シンプルな回答でした。久しぶりにインターネットで検索してみると3mという定義も4mだったり5mだったり又は6mという意見も有りましたが、つまりは、歯クジラとヒゲクジラに分かれる鯨類のうち、歯クジラの比較的小型の物をイルカと「呼ぶ」と思って問題は無いでしょう。


実はいずれこのブログでも取り上げたいと思っている「イカ」と同様に、私は海洋生物の中でも鯨に対する興味(親しみと言った方が良いかも知れません)は大学を卒業した後も常に持ち続けています。これには例えば水族館に行けば積極的に見るイルカショーの印象のみならず、大量虐殺として世界的に大々的な報道の対象となった1978年の長崎県は壱岐の勝本という漁港でのイルカ漁の事や、私の始めての海洋調査航海で遭遇したイルカの大群の印象がそれだけ鮮烈であったからではないかとも思っています。

加えて今では組織改編をしてしまった我が母校琉球大学の理学部海洋学科、その立ち上げに奔走されたのが日本鯨類研究所研究員や東京大学海洋研究所教授(後に所長)を歴任された西脇昌治先生だったという話を在学時に聞いた事も多少なりとも影響しているのかも知れません。私の入学年にはまだご存命だった先生も、2年次となった翌年には他界されてしまいましたので非常に残念な事に直接お目にかかる事がありませんでした。それでも、受講が必須であった海洋学の入門的な幾つかの講義の中で教授が私にとって初めての鯨の声を聞かしてくれた事も西脇先生の影響でしょう。その様な学科の土壌の上で学びつつ、最終的には生物系ではなく地学系の研究室を選択した私ではありましたが、今でも鯨やイルカの本を買い漁って読む事があります。


さて、その鯨と言えば、小学校での給食はもちろん頻繁に自宅での食卓にも上がっていた物でした。刺身やベーコン、鯨カツや立田揚げ、そして酢みそが良く合う尾羽の薄切り(晒(さら)しクジラと呼んでいたかな?)等々、余り裕福ではなかった我が家では何よりのご馳走であり、またその味には30年以上も前の親子5人で囲んでいた食卓を想起させられます。都内でたまに鯨料理専門店等を見かけると思わず暖簾をくぐってみたくなるものですし、インターネット通販で購入した鯨ベーコンを小学生の息子が美味い美味いと食べてくれた事があれほど嬉しかったのも、私のそんなノスタルジーが原因なのでしょう。
この様に、肉や油はもちろん、皮から尾羽に至るまで鯨の全てを余す所無く実に無駄なく消費して来た我々日本人ではありますが、今では鯨はすっかり高級品になってしまいましたのでおいそれと口に入る事はありません。

数百年も前から続く日本の捕鯨が衰退し、鯨肉が日本人の口から遠ざかってしまった原因は、国際捕鯨取締条約に基づいて設立されたIWC国際捕鯨委員会)での取り決め。国際社会の多勢を占める意見に抗いきれない日本が最終的に選択をせざるを得なかった事情によるものです。IWCに関してはウィキペディアの項目「国際捕鯨委員会」にも詳しい記載がありますのでご興味がある方は参照されると良いかもしれませんが、この条約の他にも国際海洋法条約や「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約(いわゆるワシントン条約)」の精神は立派なものであると思います。人間が勝手に絶滅させてはいけない動植物等ある訳がないという観点からも必ず遵守するべきものでしょう。但し、これが後述する各国の食文化を相互に尊重し、かつ委員会が公平中立な枠組みの中で運営されている事が、この様な国際的な取り決めを行なう際には最低限の条件でもある筈です。


例えれば、日本・韓国共催のサッカーワールドカップの際にもお隣の韓国の犬食が問題になり、国際的な批判を歓迎しなかった同国が一時的に犬を食べなくなったという話を聞いた事があります。
実は私は数年前までたまに韓国へ出張していたご縁から、一度ソウル郊外の犬料理専門店にお連れ頂いた経験があります。広い中庭と大きな平屋の座敷スペースを持つその料理店がある敷地の一角で、食材である犬が自分の運命を知ってか知らずか、檻の中で「ワンワンキャンキャン」と鳴いていた事も覚えています。もちろん、少々獣臭が強い犬チャーハンを除いては美味しく頂けた私にとって、しかし肉の味そのものよりもむしろ犬を食べるという少なくとも現代の日本人が持ち合わせていない異文化に触れた事の印象が強く残っています。そんな、独立した国家の独立した文化を異質なものとして捉える事しか出来ず、知能も高く可愛い犬を食べる事が理解出来ない事即野蛮であると、上からの目線で批判する事は全く間違った事だと思いますし、反捕鯨の立場を取る各国の日本に対する目線もまさにこれと同じ類のものではないかと思う訳です。


今日、鯨に変わって日本人が消費し始めたものの一つは紛れも無い「牛肉」でしょう。
牛が可愛いか否かは後に述べるとして、牛肉に関しては、吉野家の牛丼等、狂牛病問題の影響を直接的に受けている国内の一部の外食産業の方がどの様な意見を持たれているのか解りませんが、輸出量の減少という大きな打撃を受けた米国の牛肉産業側は躍起になって輸入の再開を迫り、輸入再開時には安全性を高らかに謳いながらも危険部位を混入させたりと、私たち日本人を舐めているとしか思えないいい加減な事を繰り返しています。
簡単に言えばアメリカという国家は他国の食文化を軽んじ、そして結局は外国諸国に「牛肉を食べさせたい」のだと思うのです。そのためには、むしろ増えつつあると言われている鯨の個体数のデータも牛肉輸出にとっては悪い材料である筈でし、鯨の次にマグロが保護のターゲットになっている事もこの事を裏付けしているのではないでしょうか。
全くの私の想像であるが故に批判を受ける事もあるかと思いますが、グリーンピースを始めとする自然保護団体の多くが「可愛いから、知能が高いから」といった一見解りやすく人の気を惹きやすい、しかしむしろ幼稚な正義をかざしてIWCできちんと審議を経て認められた調査捕鯨をさえ実力行使で威嚇・阻止する事は、この様な米国の食肉産業の意向を間接的であったにせよ反映しているとしか思えない訳です。
鯨が賢く可愛いと言うのなら、牛は、豚はどうなのでしょうか?ヨーロッパで撮影されたという、一切のナレーションもテロップも入れずに黙々と食肉の加工現場を流す「いのちの食べかた(原題:Our Daily Bread)」という映画を見られた方の多くは、その強烈なシーンに絶句された事でしょう。牛が牛肉になる現場を見る事がない我々は、鯨以外の生き物にももっと眼を向けるべきなのです。また、牛を聖なる生き物として崇めているインドの人たちが、こう言った残酷な牛肉加工の現場を実力で阻止する様な事が今まであったか否かを、欧米の人たちや似非エコロジスト達は考えるべきでないでしょうか?


映画「いのちの食べかた」の1シーン。


アメリカが鎖国を続けていた日本に開国を迫った理由の第一が、捕鯨基地の確保の必要性に迫られたからであった事は誰もが知る所ですが、当時のアメリカの捕鯨が単に鯨を「脂(=油)を搾り取る物体」としてしか見ていなかった事を、乱獲による鯨の個体数の激減が本来はアメリカのこの所業に起因するものだと言う事を決して忘れてはならないと思います。
80カ国が参加するIWCに於ける捕鯨の支持/反対国の分布は、参加各国の鯨問題以外の国際関係を反映した鏡の様です。

現在の加盟国と勢力分布
現在の加盟国は80カ国(2008年6月現在)。反捕鯨国が優勢となっている[6]。一般的に捕鯨支持国代表は水産問題担当官庁、反捕鯨国は環境問題担当官庁が中心となり代表団が構成される傾向が見受けられる。


アジア:10 (捕鯨支持6、中間派2、反捕鯨2)
捕鯨支持:日本、カンボジア、モンゴル、ラオス、ロシア、韓国
中間派:オマーン、中国
反捕鯨:イスラエル、インド


アフリカ:15 (捕鯨支持13、反捕鯨2)
捕鯨支持:ガボン、カメルーン、ガンビア、ギニア、ギニアビサウコートジボワール、コンゴ民主共和国、セネガルトーゴ、ベナン、マリ、モーリタニア、モロッコ
反捕鯨:ケニア、南アフリカ


オセアニア:8 (捕鯨支持5、反捕鯨3)
捕鯨支持:ツバル、パラオキリバスナウルマーシャル諸島
反捕鯨:オーストラリア、ニュージーランド、ソロモン諸島[7]


ヨーロッパ:27 (捕鯨支持2、中間派1、反捕鯨24)
捕鯨支持:アイスランド、ノルウェー
中間派:デンマーク
反捕鯨:アイルランド、イギリス、イタリア、オーストリア、オランダ、キプロス、ギリシア、クロアチアサンマリノ、スイス、スウェーデン、スペイン、スロバキアスロベニア、チェコ、ドイツ、ハンガリー、フィンランド、フランス、ベルギー、ポルトガル、モナコルクセンブルク、ルーマニア


北アメリカ:1 (反捕鯨1)
反捕鯨:USA


カリブ諸国:6 (捕鯨支持5、不明1)
捕鯨支持:アンティグア・バーブーダ、グレナダ、セントヴィンセント・グレナディーン、セントクリストファー・ネイビス、セントルシア
不明:ドミニカ国[8]


南アメリカ:13 (捕鯨支持1、反捕鯨12)
捕鯨支持:スリナム
反捕鯨:アルゼンチン、ウルグアイ、エクアドル、グアテマラ、コスタリカ、チリ、ニカラグア、パナマ、ブラジル、ベリーズ、ペルー、メキシコ
総計:80 (捕鯨支持32、中間派3、反捕鯨44、不明1)


以上のように、各地域毎に捕鯨支持・反捕鯨の勢力比が大きく異なっている。
(ウィキペディアから転載、日本語URLでの直リンクが出来なかったため)

欧米に於ける反対国の殆どが従来から鯨を食べない国であるか、牛肉の輸出国であったり単純には言えないにせよ例えば軍事的にも親米の立場を取る国である事が解ります。一方でアフリカでの捕鯨支持国の多くが、日本や韓国が援助を行なっている国であるとも言え、これらは決して偶然の一致ではないと思うのです。近年、鉱物資源の利権に絡んでアフリカへの援助を加速させている中国が、もしも現在の中立の立場を捕鯨反対の方向に変えた時に、果たしてこれらアフリカの国がどう動くのかが注目されて来る筈です。


大国の理論や幼稚な論理で漁業を妨害し、暴力さえも辞さないグリーンピースの巨大な船「エスペランサ」。秀逸な記事を多数擁すると常々思っている“市民の市民による市民のためのメディア”を標榜するJANJANの中にも稀に論理が破綻しているとしか思えない稚拙な記事がありますが、、エスペランサ号の乗員が明るく陽気で、女性ボースンの影響か船内が大変きれいである、そしてゴミが分別されている事や洗剤の種類等を並べただけで「え〜っ、この人達がテロリストなの?」という論旨は、可愛いからと捕鯨に反対するグリーンピースの主義主張と同じく大変レベルの低い内容だと感じます。
そんなマイ正義の暴走例が先日の鯨肉窃盗事件だと思います。「自分の利益のためではなく横領の証拠入手が目的で、違法行為ではない」と主張していたという佐藤潤一氏(31)は、主義主張の為には窃盗も許されると考えていたとしか思えず、相容れないそれぞれの主張や主義の存在は認めるとしても、その知能の低さに呆れるばかりなのであります。こんな人間が、窃盗で得たものが証拠にならないと言う事を知っている筈がありません。盗んだ鯨肉を調査の一環とし食べ「美味しかった」とテレビのインタビューで応えている佐藤氏はもはや救い様がないと思う訳です。


壱岐の島は前にもお話しした様に私の母の故郷でもあり、そして私に海や船のイロハを教えてくれた島でもあります。テレビに映し出される勝本での血に染まる海の映像を見ながらも、私は親戚縁者も多いイカ漁漁船で賑わう素朴な勝本港の風景を思い出したものでした。と同時に、母の実家で飼育されていた牛を子供達だけで放牧場に連れて行った際の、その息吹や涎や匂いや力強さ、頭の中を繰り返し流れていたドナドナの歌、そして私を見つめる光を宿した瞳までもがフラッシュバックし、そんな命を糧にして生きている人間という存在、飽食の時代、そして飽食の国アメリカを改めて考えるのでした。

トップ写真:オキゴンドウ。素敵なウェブサイト、AQUAHEARTより。