36周年の9時半過ぎ

仕事の打合せの場所と時間を記したメールが届いた私は、暫しの間考え込んでしまいました。むしろ思考が止まってしまったと言った方が良いかも知れません。そのメールには「XXXホテルのロビーに9時半過ぎに来て下さい」と書いてあります。9:30でもなければ9:45分でもない、「過ぎ」というその曖昧でファジーな時間の指定方法に、私は大いに戸惑ってしまいました。
私が考えた事と言えば、もしかすると打合せの相手が9:30に少し遅れる可能性がある事を暗に匂わせているのか、或は9:30には打合せ場所に着いているもののちょっとした仕事か電話を済ませたいので9:30ジャストに到着した私を待たせてしまう可能性がある事を予め気遣ってくれているのか、はたまた私とのミーティングの前に見目麗しい女性との9:30までの朝食かティータイムを予定しているので少し遅れて来る様に言っているのか...。例えば9:50分頃に私に登場して欲しいのなら相手は10時前に来る様に言う筈なので、恐らく9:30〜9:45分の間の何れかのタイミングを選択する必要があろう事は何となく理解出来るものの、最後は打合せ相手の不倫問題にまで思いを馳せる事になってしまいました。


今日15日に日本復帰36年を迎えた沖縄県では、未だに解決されない米軍基地の移転を始めとした諸問題について改めて考える為の集会や平和を祈る行進が行なわれる等、毎年の事とは言えこの記念日は良い機会になっていると思います。私が初めて沖縄を訪れてからはや四半世紀の月日が流れている事は大変な驚きなのですが、16年前のこの記念日、つまり20周年の際に発行された記念コインを私は一つ保有しています。実は同じく琉球大学を母校とする友人とそのコインを眺めながら、どんどん日本の一地方都市化して行きつつあった当時の那覇の町並みを思いながら20周年を素直に喜ぶ事が出来ないトーンで話をした事を思い出します。


そんな那覇で友人と待ち合わせて酒を飲みに行く様な際には、15分や30分の遅刻はあたりまえ、相手が遅刻する事を見越して自分も遅れて行く、更に自分はそれを見越して遅れて行く...という笑い話を聞いた事もあります。そんな沖縄の友人達や我々を取り囲む風土が、暗い目をしていた高校時代までとは打って変わって明るく朗らか?になったと今の私の性格に影響している事は間違いないと思う訳ですが、ウェブサイトで電車や地下鉄の時刻表を検索して一分と違わずに目的の場所に到達出来る事をよしとする生活に慣れてしまった今でも、仕事という責任を伴うものではなかったにせよ南国に暮らしていたあの頃の人間関係を懐かしく思います。今でも沖縄の若い世代でもこの様なやり取りがされているのかは解りませんし、外の人間がとやかく言える事ではないにせよ、どうか失って欲しくないと思える沖縄の一面ではあります。


さて、打合せの話。半日以上かけて色々と考え抜いた私は結局のところ9:35に打合せ場所に到着という、考えた割には最も無難な時間を選んでしまったのでした。もちろん、いつもお世話になっているジェントルマンな打合せの相手が、普段通りの装いで女性を伴う事もなく極自然に私をお待ち頂いていた事は言うまでもありません。

トップ写真:砂浜に咲き乱れるハマダイコンの可愛い花と実。実の部分は海での宴会の箸休めにピッタリです。