想いでの写真

先日、出張で新潟に向かった私は経費削減のために早朝の新宿発長野行きのバスに乗り、そこかさらにJRに乗り継ぐという経路をとりました。バスを降りた長野駅ではちょうど昼の時間に重なったため、さて昼食は何にしようかと、駅前をぶらぶらしながら手頃な店を探していたのですが、その時日本ケーブルテレビ連盟の某氏とばったりと会うと言う大変珍しい事が起こりました。職場を同じ東京に持つ二人ではありますが、東京でもまず偶然会う事はないにも関わらず、遠く離れた長野で会うとはお互いに大変驚いたものでした。そのまま一緒に昼食をとりつつ氏のその時の出張の目的を聞いた訳ですが、以前から携われられていた著作権や肖像権に関するCATV局の会合の中のセミナーで話をするという事でした。

CATV局のコミュニティチャンネルの地域の枠を超えた流通によって、縁のある土地の日常の映像を誰もが見る事が出来たら...。既に何度もこのブログでも触れている様に、当社ではこの様な映像流通の枠組みの成立に向けて様々な取り組みを進めているのですが、そもそもそう言ったニーズは多くないのではないかと言う根本的な指摘とともに、この計画の進行を阻害するものがあるとすれば、それは著作権と肖像権と言う問題です。

CATVで一旦放送されたコンテンツを何らかの形で再利用する場合に、先ず問題になるのがBGM。少し前までは「権利上問題があるならばBGMを外せば良いではないか?」と考える事もあったのですが、BGMの有無によってその映像の印象はがらりと変わってしまいますし、また音楽の小説や進行にあわせて映像を編集する事によってより自然な作品に仕上がると言う事もある為、出来上がった作品からBGMを外したり他の音楽に差し替えると言う事は決して良い解決策ではありません。そもそも音楽をあえて外す作業に伴う人的なコストも軽視する訳には行きません。
ケーブルテレビ連盟や地域のMSOが、音楽の著作権者と交わしている所謂「包括契約」も、例えばインターネット、つまり通信によるコンテンツの流通時の許諾権を含んでいない事も多く、お金の問題もクリアしなければならない為、民放同様に放送のデジタル化の渦中にいるCATV局にとってある意味先が見えないマーケットへの新たな投資を期待する事も困難です。
その次が、CATVテレビと言う地域性に起因する問題。これは、例えばCMを例にとれば良く解る話なのですが、地域や期間を限定して行なわれているキャンペーンCMが、後日他の地域で流れる事は広告主にとって宜しくない問題を引き起こす事があるからです。

これら以外にも、グルメ番組で紹介したお店のメニューが変わったり、或はその店自体が無くなってしまった場合の問題等々、数え上げればオンデマンドによるCATV局の映像配信について消極的になってしまう要因や理由は多々見受けられ、当社の事業が決して一筋縄では行かないものだと言う事を痛感するものです。

さて、とあるCATV局の営業の方と話し込んでいる際に私が、「幼稚園のお遊戯を離れて住むお爺ちゃんお婆ちゃんに届けるサービスをやっても良いのではないですか?」と聞いた所、思わず「うーん」と唸らざるを得ない回答が帰って来ました。


「大変可愛いうちの子供の映像が、子供が通う幼稚園名が判る状態で映像配信をされてしまうと、変質者を誘発しかねない、という親の意見があって実現できないんです。」


映像配信によって変質者を誘発する可能性がどれほどあるのかと言う疑問はもちろんあるのですが、同じく幼稚園に通う娘を持つ私としては、その親御さんの気持ちも判らない訳ではありません。極めて微々たるものであったとしても、その可能性を高める事は間違いなく、そして万が一に事件が起きてしまったとしたら取り返しがつかない事にもなりかねないからです。

しかし...。

私がRSSを受信しつつ基本的にはほぼ毎日購読している地方新聞のうち、地元の神奈川新聞に掲載されていた記事を読んだ私は再び「うーん」と唸ってしまいました。幼稚園の遠足等の行事の模様を掲載した園便りの一部の写真中の子供の写真が黒く塗りつぶされていると言うのです。その理由は、CATVの番組同様に親御さんからの「掲載しないで」との要望に応える為だったと言います。ここで、幼稚園の対応や親御さんの要望について言及するつもりはないのですが、「一体、日本はどうなっているんだ」と強く思う訳です。
日本の、社会の財産である子供が、様々な暴力の対象となり犠牲となる、この様な異常な社会を作る為に日本人は汗水流して働いて来た訳ではない筈です。写真を黒塗りにされた子供が将来、自分が映っている筈の園便りを見る機会があるかは判りませんが、そのような手段をとってでも我が子の安全を守りたいと言う親の行動の根底を理解するよりも前に先ず、他人を疑う事を身につけてしまう事もあるかもしれません。この様な負のスパイラルが更に日本中の街の表情を変えてしまう様な気がしてならないのです。

トップ写真:事務所の近くで見かけた懐かしい車「いすゞ117クーペ」。アップルの製品が50〜60年代の電化製品のデザインを密かに踏襲しているのではないかと言う記事を何処かで見かけた事がありますが、この車も現在でも立派に通用する格好良いフォルムを有していると思いました。