忍び寄る影


相変わらずの周回遅れのエントリで恐縮ではありますが、やはりこの件についてはインターネットの世界の片隅でビジネスをさせて頂いている私としてもきちんと考える機会を持つべきだと思い、私見を述べさせて頂きたいと思います。
この件と言うのは、自民党と民主党が同調して国会に提出しようとしているインターネットの規制法案の事です。
自民党案については条文の抜粋を含めて池田信夫氏のブログの以下のエントリーに意見が掲載されていますので、是非ご参照頂きたいと思います。
12年遅れでネット規制に乗り出す自民党
ネット規制を競う自民・民主・総務省

青少年を有害な情報から守ると言うのがこの法案の目的であり、且つその必要性も理解出来ます。日本や世界の未来を担う若者を守る、この一点について異を唱える人は恐らくいないでしょう。私が考える本質的な問題の第一は従ってそこにある訳ではなく、それを国が行なうという事なのです。まず子供を守り育てるのは親の責任である事と同様に、そのような有害情報を有害であるときちんと伝え正しい情報リテラシを身につけさせるべきはやはり親であると思う訳です。日本と言う国を愛してはいても、その政府に自分の子供を育ててもらいたいとは一切思いません。
第二に、そもそも世界中に張り巡らされたネットワーク上の有害な情報を監視し規制する事は事実上不可能であるにも関わらず、この様な監視体制を作る事は、その先に何か別の思惑があるのではないかと思える事です。先の池田氏のブログでも紹介されている、米国で12年も前に廃案となった通信品違法(CDA)の例でも判る様に、公的権力のあからさまなインターネットメディアへの介入はナンセンスであり、またその効果もないというのが定着した考え方であると思います。


まるで振り子が振れる様に、自由な情報発信に対して忍び寄る規制という黒い影。この法案の先にあるものが、一体何であるのか。当社が目指すメディアの民主化の実現の為にも、慎重に成り行きを注視していく必要があると思うのでした。


ところで今の思春期の若者は、ビニ本なんて知らない事と思います。夜、ジョギングをしてくると家を出た中学か高校生の私は、何故か神社の片隅にコンドームの自動販売機と並んで設置されていたビニ本の自動販売機の前で、電灯の明かりを恨めしく思いながら周りの様子を伺いつつ、ドキドキしながら購入したものでした。その本に映っているのは、大して若くもない、というかむしろ例外なく中年のご婦人であり、表紙と中身のギャップに幻滅もしました。胸の中で一抹の罪悪感を覚えながらも闇の中でそのうら悲しい写真集を手にしている自分を思い出すと今でも情けなくなる事しきりなのですが、キーボードとマウスだけでそれよりもずっと過激でうら悲しくもない刺激を簡単に入手出来る今の子供達には、やはり親がきちんと自らの言葉と態度によって教育をしていく必要があると思うのです。

トップ写真:先々月のエントリ、三寒四温の花も満開になりました。