拒絶するオキナワ 〜歴史から学ぶと言う事、歴史を解釈すると言う事(その2)〜


安倍前首相による幻の所信表明の中の沖縄に関するスピーチが前回の物と一言一句違わなかった事を受けて、内閣の沖縄に関する関心の低さを指摘する報道がありました。ただ、その直後の、舫を解いてまさに出航せんというタイミングでの船長の下船という背景を考えると、実際には心中はそれどころではなかったという事なのでしょう。しかしながら、単純に比較出来る事ではないにしても、政府は沖縄に対してよりもより国際公約に重きを置いていたという拭い難い事実は、一考に値するものかもしれません。

沖縄県での集団自決への日本軍関与の有無を争った教科書検定問題に関する今年の3月31日付のエントリーで「沖縄県の教育委員会は何を遠慮しているのだろう?」と述べた事がありましたが、その後、座間味や渡嘉敷での集団自決の生き残りでもある高齢の沖国大教授の証人喚問があり、県民大会があり、ついには10万人を超える署名が集まった事を受けて、政府もその対応に苦慮しだしている、というのが現時点でのステータスでしょう。一度委員会で検定された決定事項の修正に政府が積極的に関与して良いのか?という考えを文部科学省が示したとの報道もありましたが、そもそも委員会を組織したのは誰?と、思わずその責任逃れな言い訳や、想定・予見できなかった世論の動きへの対処に慌てている様に、そろそろ教科書の内容を決めないと来春に間に合わないというこのタイミングでの報道合戦同様に、思わず吹き出してしまいました。

その高齢の教授が、毎日毎日一緒にご飯を食べ海で遊んだ自分を慕う妹弟を殺害せざるを得ない、戦時下の極限状況について証言したとの報道がありました。いったい何故この期に及んで、老い先短い老人に、再度自らの肉を自分で抉らせる様な事を強いる羽目になってしまったんでしょう。先のエントリに対して頂いたコメントにもありましたが、証拠と言う形で残らない無言の強要という今なお存在する権力を後ろ盾にした、しかも予め逃げ道を用意した圧力を卑怯だとは思わないのでしょうか。いったい、軍の関与が無かったと言う人たちは、島民が自決に使ったとされる手榴弾は島民自らが“製造”したか“軍から盗んだ”か“たまたま置いてあるのを見つけて使った”とでも言うのでしょうか。


座間味港前の海に浮かぶサバニ。一言でこの海の色を表現する事は出来ません。

私の周りの人たちから、この事が話題に上る事は滅多にありません。インターネットのポータルサイトでは、私の良く知らない若い女優が新作映画の舞台挨拶で生意気だったとか、そんな「ニュース」がこの事と同じ頻度で露出しているのを見るにつけ、一般的な日本人の本件に関する関心の低さを痛感します。この事においては、私が学生時代を沖縄で過ごす事が出来た事に感謝せずにはいられないのですが、一方ではこれは沖縄に限った事でもないとも思っています。例えば、坂ノ上田村麻呂の東北〜北海道の制圧は、小学校では「蝦夷征伐」と教わった気がします。これは、アメリカインディアンの生活を武力で踏みにじった北米大陸の開拓者たちの歴史と酷似している気がするのですが、古の人たちの北方感は別にして、現代の教育において「征伐」は幾らなんでもないのではないかと思うのです。しかも先住民は最後は和平の約束を反古にされて全滅させられたと最近目にした説の中で触れられていました。

さて、この様な「日本」の国体は我々の生活にも至る所で歪みをもたらします。特に私にとって直接的に影響するのが沖縄の人たちとの付き合いです。

大学生の頃は、所属する学科の学生数は1学年あたり40人程度で、内地からの学生と沖縄の学生がほぼ半々だった私たちは、当時の若さ故か普段はあまり日本と沖縄と言う事を意識せずに普通に付き合いをしていた訳ですが、卒業後20数年も経過した今ではその卒業後の月日が、例えば私をより日本人に、そして沖縄の友人をより琉球の人に変えてしまったと思う事も多々あるのです。
そして、果たして今回の教科書問題をかつての同級生はどの様に捉えているのでしょうか。私は一般的な日本人と同じ様な受け取り方をしていないと言う事に関しては自信があるのですが、40数歳のかつての同級生の中にも「日本」に対して憤りや不信感を感じている人が居ても決して不思議ではない筈です。そして、その様な事が内地の人間と沖縄県人との間に、沖縄を愛する私の場合でさえ、「溝」を作ってしまっていると思うのです。

同様に基地問題も人々、これは特に現地の住民の意見や感情を二分してしまいます。基地に関連した仕事についている人や、基地に関連して何らかの補償を政府から得ている・得る見込みがある人や地域は基地の存在や誘致に積極的になり、反対派と意見を分つ事になりますが、これはまさに悲劇と呼ぶに相応しいと思います。本来は対立する必要も理由さえない現地の住民が、外から持ち込まれた問題を境界線にして対峙しながらいがみ合い、時と場合によっては憎しみの感情さえ生む事態に陥っているのです。また、基地に関連して支給される各種の補助金によって、狭い沖縄の道路と言う道路は毎年度末に掘り返されて至る所で渋滞を生み、工事の影響で流れた赤土が美しいサンゴ礁の海を濁らせてオニヒトデ等の発生を助長します。

人々の心の中に暗く深い溝を植え付けられた上に観光資源の根幹をなす海までをも汚され続けている戦後の沖縄。第二次世界大戦で日本唯一の陸上戦が行なわれた、その歴史をねじ曲げられようとしている沖縄。

大学卒業後に住んでいた那覇のマンション近くにあったクリーニング屋のおかみさんは、沖縄の女性と結婚すると言う私に「有難う」と答えてくれました。おかみさんがいわんとした真意は永遠に解らないかもしれませんが、今の私同様に人々の心の中に横たわる溝が少しでも埋まれば良い、と考えている人だったに違いありません。

トップ写真:仕事でお邪魔させて頂いた上越市の居酒屋にて。宮崎に引き続き大変美味しい地鶏料理を頂きました。手前の小皿の左側、現地特産の「かんずり」の、ゆず胡椒(右)に勝るとも劣らない深い味わいにビックリです。