クラゲ問題と大型車両


先のエントリーの中で、古い友人の今の様子を表現するために、古い歌の歌詞の一節でもある「女房子供に手を焼きながらも」と書いた文章に目を付けた家内が、「何故手を焼いていると分るの?」と私に聞いて来いてきました。手を焼くと言う表現が、家族の事を説明する際においては男同士にしか分らないの一種の照れのようなものを少し含んだ表現であり、従って女性には通用しないという事を再認識した私は、本当は手を焼きたい子供達、そして家内を私の実家に帰して静かな日々を送っています。

私の小学生時代も母親の実家で祖父母や従兄弟達と過ごす夏休みが楽しみでしようがなく、夏休みの宿題もラジオ体操の出欠カードも持参して、結局6年間のほぼ全ての夏休みを長崎県の壱岐と言う島の小さな漁村で過ごしたのですが、私の子供達にもお爺ちゃんお婆ちゃんとのまとまった時間を過ごさせてあげられる事を、両親が元気である事を含めて感謝せずにはいられません。

壱岐の漁村では、従兄弟や現役の漁師だった今は亡き祖父に教わって磯遊びを楽しんだ物です。今の様に多様なテレビ番組やゲーム機もパソコンもなく、例えばアイスクリームを買うにも何キロも離れた町の売店まで歩いて行かざるを得なかった私たち子供は、自然と海で遊ぶという数少ない(殆ど唯一の)選択肢を選ぶしか無く、朝には畑のトマトやスイカを失敬して磯に持って行って喉の渇きを癒し、自分たちで採ったウニやサザエを食べながら何時間も過ごしたのです。いつしか磯遊びに熱中し、その影響からか琉球大学に進んで海洋学を専攻し、海洋学から離れた今でもヨットやサバニやダイビング、そして今なお磯遊びに目がないのだと思います。当時の壱岐は、少し山を登ればクワガタやカブト虫も豊富であり、従ってクワガタはもちろんの事、サザエやアワビをスーパーやデパートで買うと言う感覚を今も私は持ち合わせていないのは間違いなく小学生の夏休みの影響であり、寿司屋等でも滅多にそれらを注文する事も無い為に、逆に口にする機会が殆どないくらいです。

ところで、私にとっての夏休みのイメージそのものである壱岐での時間、その黄金色に輝く想い出に唯一暗い影を落とすもの、それが他でもないクラゲです。あの痛さと、やられた時の悔しさ・情けなさは例え様がありません。私たちは長崎の方言で「イラ」と呼んでいましたから、おそらくアンドンクラゲなのでしょうが、水中眼鏡でその姿を確認するや否や殆どパニックになって泳いで逃げた記憶があります。恐らくその頃の記憶は色褪せるどころか、その後の経験によって更に着色が重ねられ、40歳を過ぎた今もって尚、蚊とサソリにならぶ私の天敵であり続けているのです。

手を焼く相手が居ない土曜日の午前中は、自宅でやり残していた仕事を幾つか片付けて電子メールを数通送信した後、このまま家族の居ない自宅でビールを飲みながらテレビで一人野球観戦するくらいなら、と最近入手したワンセグ携帯を携えていつものヨットクラブに土曜日の午後から出掛けました。結局、海辺ではワンセグ放送が受信出来なかったのですが、翌日は子供の頃の様に気が向けばヨットに乗ったり、磯に潜ったりといった週末を過ごしました。そして、その楽しい時間に静かに影を落とすかの如く現れた敵に、実は見事やられてしまったのです。左の耳たぶから頬〜顎、そして首にかけての広範囲に渡って見事にミミズ腫れになっています。あの憎っくきイラです。その代償に得た物は、冒頭の写真と、ヨットクラブの皆に少しだけ振る舞う事が出来た味噌仕立てのシッタカ丼とそれなりの成果ではあったのですが、一週間くらいは痛みとかゆみに悩まされそうです。そこは、海洋学科出身の同級生に質問と、海洋生物を専攻していた悪友に色々と尋ねてみた事もあるのですが、あの薬は効くのか?という問いに対して、「微小刺胞動物」や「薬理活性物質の抽出対象」といった私にはチンプンカンプンな答えが返って来た所を見ると、ネット上で見かける私にとっては夢の様なクラゲ防止塗り薬の効果もあまり期待出来ないのかもしれないと思ってしまいます。


クラブに遊びに来ていた親子連れを乗せたディンギー。記念写真を撮ってあげようと、足で舵を取りながら撮影したのですが大失敗。自分の足しか写せませんでした。

さて、少し前の夏に帰省した際に、産まれたての次女を含む家族と祖母達を連れて越前海岸に磯遊びに行った時の話。幸いな事にクラゲに遭遇する事は無かったのですが、その帰りの私以外の全員が暴睡する高速道路での事。無理矢理に車線変更をして前に割り込んで来た大型トラックに、ほんの少しだけ腹を立てた私が「もしもし、危ないですよ、こっちには赤ん坊や老人も乗っているのですよ、だから安全運転でお願いしますよ」と一回のパッシングによって伝えた所、何を思ったのかそのトラックは、再び無理矢理車線変更をして私の車の背後に入ったかと思うと、猛然と私の車を弾き飛ばさんばかりに煽りだしたのです。身の危険を感じた私は、恐らく最高速度160Km位のスピードで暫くの間逃げ続けるという、手に汗を握るカーチェイスを繰り拡げざるを得なかった訳ですが、私の車中の誰かが寝ぼけながらも「スピード出し過ぎちゃうか?」と問いかける声も耳に入らず、頭の中にはトランクに積んだ数個のサザエに気づいた「置いてけ堀のノッペラボウ」が迫って来るという誠に暢気なイメージを振り払いつつの危険なドライブを経験したのでした。

子供にとっても、子供を持つ家族にとっても、楽しく何十年間も心に残り続ける夏休みの想い出。それを永遠に葬り去ってしまう水の事故という何とも痛ましい事件が相次ぐ中、ここ何年も酒という力と大型であるという力を使った交通暴力によって、何の罪もない家族が不幸のどん底に落とされる事故も相次いでいます。少し前の福岡の高速道路からの落下事故や、つい先日の愛知県の大型バスによる追突事故も然り。

私の友人の言葉を借りれば、「大型車両の運転手、彼らは付近を走行する小型車両の乗員全員の首に、常にナイフを当てた状態で走っていると言う事を分っていない」のです。分っていないから、少しならと定期バスの運転手が酒を飲み、また渋滞情報に気を取られてよそ見をしてしまうのです。あの、置いてけ堀のノッペラボウ運転手、いつか出会う事があれば正々堂々と勝負を挑んでやっつけてやりたい、と少々過激な事さえ考えてしまうのでした。

話は変わりますが、他を圧倒する力による暴力と言えばメディアも時として暴力になる様な気がします。もちろん、直接的に視聴者に人的な被害を与えたり、或は現代では思想をコントロールする様な事は無いのですが、見る者、特に子供や若者に対する悪影響という意味においてです。19:00〜21:00にかけての所謂ゴールデンタイムのバラエティ番組や、時には歌番組においてさえ、直接的な性的描写や、或は直接的でないにせよ子供に意味を聞かれて返答に窮する様なシーンが多々あります。また、食べ物を粗末にしてはいけない、勿体ないという言葉が宙に浮いてしまう様なギャグと言う言葉で片付けられてしまっているシーンの数々。
我が家では、見たい番組は申告制であり、且つ一人当たり週に3つまでという約束を設けているのですが、得てして早く帰宅した時や休日には申告されていない番組が延々と流れていたりする物です。

私の仕事は、考え方によっては「通信と放送の融合」に関連する内容であるかもしれませんが、馬鹿を大量生産する様な番組を少しでも減らして、本当に見たい番組を見たい人に確実に届けられる、そんな仕組みの実現に少しでも貢献出来ればと、暴力というキーワードからの連想ゲームの様にとりとめも無くしたためてしまいました。

外は相変わらずの猛暑と、夏を謳歌する様な蝉の声、高校野球中継に入道雲、そして夏の海。全ての子供達に素晴しい夏休みの想い出が残ります様に、そしてこれ以上の水や交通の犠牲者がでない事を祈るばかりです。

トップ写真:軽く茹でた後にスプーンで剥がした身を、フライパンで熱したバターで焼き、醤油1:味醂1:酒1のタレを絡めて出来上がり。皆で分けて少しずつ頂きました。長崎の壱岐という島で板前をしていた従兄弟に教わった「アワビのステーキ」、個人的には一番美味しい食べ方だと思っています。