哀愁の町に霧が降るのだ


少し前のエントリーで自動販売機の腹立たしさについて触れてみましたが、久しぶりの昨夜の歌舞伎町での酔いがまだ抜けきらない今日の朝、私の会社のすぐ近くで、その酔いを吹き飛ばす様な飲料の自動販売機に出会いました。

たまたま何処かの誰かが、ジュースかお茶か何かの飲み物のボタンを押したタイミングで私が通りかかった訳ですが、何とあの嫌らしい機械的な合成音声で「お買い上げありがとうございます、“今日も暑いですね”」と自動販売機が喋るのが聞こえて来たのです。飲料を購入した人のリアクションが背中越しだったため分らなかったのが残念なのですが、私が当事者ならどう思った事でしょう。

「機械のお前に人間の暑さが分るのか!?」と思ったかもしれませんし、「余計なお世話だ、それともお前が涼しくしてくれるのか?」と考えたであろう事は間違い有りません。ここで自販機を擬人化してしまっていること自体が問題なのかもしれませんが、だいたい、機械にそのように声をかけられて、「そうだね、暑いけどお互いに今日も頑張ろう、じゃあ良い一日を」と考える人間が存在すると、その自販機のメーカの人間は考えているのでしょうか。恐らくその時の気温や日付等のパラメータによって予め準備されたフレーズを選択して機械が喋っているのでしょうが、私の場合、イライラしている時や二日酔いの朝には反射的に凶暴になって蹴飛ばす事になりそうで、その自動販売機は決して使わない様に決心しつつ一日の始まりを迎えたのでした。

ところで、唐突では有りますが椎名誠氏の「哀愁の町に霧が降るのだ」という本をご存知でしょうか?金はないが飯は腹一杯喰いたいし酒も飲みたい盛りの、筆者である椎名氏を含む数名の若者が東京の古くて小さいアパートで繰り広げる哀しくも面白い共同生活の模様を書き綴った自伝小説です。沖縄での学生時代に友人に借りて読んだ時には、腹を抱えて笑いつつも、「あれ?これって今の俺の境遇と同じじゃあないか、そうか貧乏も空腹も笑い飛ばせるものなのだ」と、もともと能天気な私の能天気さを更に助長してくた、そういう意味では結構恩義を感じている本なのです。

自動販売機の疑問を頭の片隅に追いやりつつ今日の仕事に取り掛かった私は、沖縄での学生時代の古い友人から、私と同じ様に貧乏学生だった別の友人が、時の音楽系サークルでの日常生活を思い出すがままに綴っているというブログの存在をメールで知らされ、早速ブログを訪問して数時間の後に結局全てのエントリーを、やはり腹を抱えつつ、また時にはしんみりしながらも読み終えた後に、自ずとこの小説の事が脳裏に去来したのでした。


少し前に購入したTakamine PT-307。しっかりとした中低音を奏でる事が出来る良いギターです。今日は久しぶりにハードケースから取り出して弾いてみました。

今では、可愛くそしてかけがえの無い子供達にも恵まれ、若干の問題は有りつつも基本的には健康で、且つ今でも十分に楽しく公私ともに充実した時間を過ごす事が出来ていてる私は、昔と変わらず余り裕福ではないにしても、しみじみと「ああ幸せだなあ」と感じる事が良く有ります。
そして、早20数年と言う年月を隔てたあの頃に確かに存在していた時間が今の礎であった事は紛れも無い事実であり、それがブログやインターネットというメディアによってまざまざと原色で甦って来て、しかも遠く離れたかつての仲間とほぼリアルタイムにその想いを共有出来るとは、今日ばかりは、接戦を制したインターネットによる阪神ーヤクルト戦の中継よりも、古き友によって書き記された哀愁の町に霧が降るのだ的な文章の方が、私の心を捉えて離さない、そんな夜の一時でした。

なすび山口へ
大先輩のバンドの名曲且つ、海洋学科の親友の結婚披露宴で「Vo:家内、Gr&Ch:私」の超豪華メンバーで心を込めて演奏した「想い」の歌詞は以下の通りです。歌詞だけ見るとちょっと浮いた歌の様に思えてしまいますが...。

『想い』

あなたの胸に顔をうずめる 時が一番素直になれるのよ
だからもっと強く抱いてよ 息もできなくなるほど
今までだって恋もしたし 出会った人も沢山いたけど
こんな気持ち不思議なほど いつだってそばにいたい

愛しているから愛されていたい 私本当は人一倍の寂しがり屋なの

時を止められるなら このまま肩にもたれて つないだ手の暖かさを 感じ続けていたい

あなたがついてこいというなら 私どんな所でも行けるのよ
すべて捨てて飛び込めるわ やっと巡り会えた人

心も体も一つになりたい あなたも同じ気持ちでいると信じていいのね

言葉では言い尽くせない 熱い想い受け止めて 一晩中抱きしめていて あなたの広い胸で

トップ写真:何と肩の痛みが取れてしまいました。駄目モトで訪れた整形外科で肩を見てもらった所、腱の炎症でしょうとの事で処方された湿布薬。1年以上も苦しんだ肩の痛みが、僅か半日でなくなり、早速のキャッチボールで息子に私の豪速球を知らしめたのでした。