父親参観日、ってどうですか?


先週の日曜日は日本全国的に父の日との事、近所のスーパーでもそれにあやかったセールが行なわれていました。そしてこの日は我が家の子供達、既に卒園した上の二人を含めた三人が通ってきている幼稚園では、父親参観日なるイベントが模様される日でもあるのです。

実は、毎年この日は必ずヨットレースの日と重なる為、子供が幼稚園に行きだしてからと言うもの、ずっと連続してレースに出れずにいます。今年も晴天と良い風に後ろ髪を引かれながら幼稚園の門をくぐったのですが、園長先生の朝の挨拶の中の話に心底辟易してしまいました。

「父の日の良い想い出を作って下さい」.....。

何故、幼稚園の園長先生が家族の想い出に関与するのでしょうか?また、その余計なお世話によって、これまでの私の何年かのヨットレースが台無しにされていたのかと考えると、まさに二の句が継げません。絶句です。

そもそも私は親がノコノコと、幼稚園のみならず学校に出向いて行くことに関してさえ、大変ネガティブな意見を持っています。幼稚園や学校は、子供達が親から離れて少しずつ団体生活の中での自我を芽生えさせ、そして社会性を覚え始める場所です。折角のその場に、何の為に父親が行く必要があるのか、全く理解出来ません。

父親参観に我が家だけ行かないというのは、それまで幼稚園で私へのプレゼント作成等を始めとした様々な準備をし、わくわくしながらその日を待ち望んでいる子供にとって残酷だという思い、その一点から渋々参加しているのですが、これは暴力に近い強制だとさえ思えます。
また、本当の所はもちろん分らないと言う前提で言えば、私以外にこういった疑問を持っている父親はそう多くない様に感じてもいます。聞く所によれば会社を休んでまで、卒園式や入学式に出掛けて行く子離れ出来ない親も多いとの事、最近の子供が大人を舐めてかかる原因の一つはここにあると私には思えてなりません。

写真:街中の至る所から噴出する正真正銘の湯煙。今は亡き祖父に連れられて小学生の時に地獄巡りをして以来、実に久しぶりに会議で訪れた別府にて、会議室の窓から撮影しました。大学で地質学を学んだ今の私にとっては少し怖くなる風景でした。