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遠野(今昔)物語


8時過ぎに到着した遠野は既に夕暮れを経て暗くなっており、人影も疎らな駅前通りを、電話で宿のおかみさんに教えられた道のりを歩いて投宿となりました。
もちろん始めての遠野での宿泊、今回は家内が宿を探してくれました。その際に、「出来れば古い民宿で中に入ると老婆が包丁を研いでいる様な所が良い」と冗談半分でリクエストをしたのですが、暗い道を歩くにつけ元来が小心者で恐がりの私は、本当に包丁を研いでいたら逃げ出そう等との馬鹿な考えを頭から振り払いながら、実際には大変穏やかで優しい顔をしたおかみさんに玄関でお出迎え頂いたのでした。

食べきれない程のご馳走と、おかみさんの実家が作っていると言う大変美味しい「どぶろく」で夕食を頂きましたが、本場の北海道よりも美味しいと思えるジンギスカンには驚きました。その夜は残念ながら座敷童や河童に会う事も無く、ぐっすりと休む事が出来ました。

翌日のCATV局様との打合せは11時からであったため、遠野の中心部を少し徒歩で散策する時間を持つことが出来、博物館や大工町通り近辺を中心に廻ってみたのですが、晴れやかな晴天だった為か少し汗ばむくらいの陽気の中、幾つか印象に残る出来事に出会う事になりました。

民話関連の展示に加えて昔の農機具や暮らしが上手にディスプレイしてある博物館では、農家の方々を記録した写真も多数展示してあり、中でも飼っていた馬がまさに寿命を迎えるその瞬間の飼い主であるご夫婦の何とも悲しげである表情を撮影した写真が数日経った今でも忘れられずにおり、映像が伝えるメッセージ力に圧倒されています。

また、大工町では、歩道からゴミ集主箱に至るまでを木でアレンジするばかりではなく、家々の外壁も昔ながらの和風、街灯の柱まで茶色に塗る徹底ぶりで非常に美しい景観を楽しむ事が出来ました。一方では、本当にこれが従来から遠野が持つ町並みの発展形であるのかとの一抹の疑問も抱きましたが、それを打ち消すだけの地元の人々の意気込みやご苦労も同時に感じ取る事が出来ました。

一点残念だったのが、「柳田国男先生投宿跡地」と書かれた旧家がそのまま保存されていなかった事。出来れば、現在でも宿泊可能な施設として残っていたらどんなにか素晴しい事か、と感じました。

しかし、今回の遠野での私のとっての一番は、何と言っても宿のおかみさんとのやり取りです。他の宿泊客は皆外食との事で、遅く到着した私1人に付き合って遅くまで夕食の面倒を見て頂き、また前述のどぶろく(4合ビン)は勿論1人では飲みきれなかったのですが、「こりゃ気の毒に、勿体ないねえ」とこちらから頼みもしないのに半額にしてくれた、都会では決して出会えないその様な素朴で優しい対応に、自然とまたいつか来てみたいと思いつつ、前日と同じく2両編成の釜石線で遠野を後にしたのでした。

トップ写真:遠野駅から10分も歩かない場所にある美しい小川。できればこれ以上コンクリートで塗り固めないまま残して欲しいものです。