教科書検定問題 〜歴史から学ぶと言う事、歴史を解釈すると言う事(その1)〜


さて、週末にかけて静岡の真夏日や野球の事以外にも、いくつか考えさせられる出来事やニュースがありました。
例えばYouTubeによる「YouTube Awards 2006」受賞作品の発表(http://www.youtube.com/ytawards)、AppleiTunes StoreでのMLBハイライト映像の販売開始(http://www.apple.com/pr/library/2007/03/30itunes.html)、Steve Jobsによる「音楽に関する見解(Thoughts on Music、http://blog.nikkeibp.co.jp/arena/ipod/archives/2007/02/drm.html)」に呼応するかの様なEMIによるDRMフリーな楽曲の5月からの提供の発表(http://www.apple.com/pr/library/2007/04/02itunes.html 4/2に追記)等々、何れも深く掘り下げればきりがない事柄だと思います。

その中で、私にとっては、咲き誇る桜の美しさを台無しにする程のインパクトを持ったニュースをここで取り上げたいと思います。

日本史「沖縄戦集団自決」、「軍の強要」に検定意見

 文部科学省は30日、来春から使用される高校中学年向け教科書の検定結果を公表した。
 日本史では、沖縄戦の集団自決に関する記述について、今回の検定から、日本軍の強制があったとする表現すべてに検定意見が付けられた。
 一方、数学や英語などの主要科目では、大学入試を見据えた教科書から、学力低下に対応するため小学校の内容を盛り込む教科書まで、二極化が鮮明となった。
 今回の検定には、工業など専門高校の教科を除く普通教科7教科207点の申請があった。「生物2」の2点が「誤りや不正確な記述が多い」として不合格となったほかは、最終的に205点が合格した。
 日本史で沖縄戦に言及したのは、日本史Aと日本史Bの教科書計10点のうち8点。文科省はこのうち7点について、日本軍が住民の集団自決を強要あるいは命令したという内容の記述に、「沖縄戦の実態について誤解する恐れがある」との意見を付け、修正を求めた。修正後の記述は「追いつめられて集団自決した」などとなり、集団自決に軍が直接関与したとする表現は教科書からすべて消えた。
 文科省は最近の学説などを根拠に、「日本軍による集団自決の強要や命令があったかどうかは明らかでない」としている。これに対し、沖縄県民からは「集団自決を軍と切り離して考えることは出来ない」などの反発が出ている。
 沖縄県教委は「『集団自決』を含む沖縄戦の実相については様々な指摘がある。今回の検定内容については把握していないので、コメントを差し控える」としている。
(2007年3月30日23時37分 読売新聞)

陸上での戦闘時の様な極限の状態下で、日本軍の兵士が犯してしまった罪はある意味では抗い得なかった事なのかもしれませんし、そのような(どちらの立場においてもの)経験を持たない私が考えられる事は唯一、“繰り返さない”と言う事につきます。
但し、今回は生存した住民の証言をないがしろにし、さして新しくもない一つの“学説”を論拠として沖縄県民にとっての戦後処理をリセットさせてしまったばかりか、前回のエントリーでご紹介した「地域再生の条件」でも強調されていた様に、解釈と言う名の下にまたもや歴史から学べない政府である事を自らが露呈させてしまった事に他なりません。これは、潔さや勇気を持たない、大変卑怯な考え方だと思います。読売新聞の報道内容が正しいものだとすれば、沖縄県の教育委員会は一体この卑怯な考え方に対して何を遠慮しているのでしょうか。

学生時代のドライブの途中で気軽な気持ちで初めてひめゆりの塔に立ち寄り、そこで見た展示の内容に衝撃を受けた大学1年生の夏の事は、今でもまざまざと思い起こさせられます。
私は、戦後の棄民政策同様、沖縄県の平和記念公園での展示内容は、全ての日本人が知っておくべき“事実”であると思っています。今回の教科書検定の結果は、私たちが愛し、そして誇りに思う母国が健全で成熟した政府を有する国家であるならば、絶対に有り得ないものである筈です。

以上、教科書で書かれないならばせめてCGMでの発信をと思い、少しの憤りを込めて書き連ねてみました。皆様は如何お考えでしょうか?

写真:自宅の窓から見える桜の木。毎年毎年、大変奇麗な花をつけ、しばらくすると玄関に至る階段の前を桜色の絨毯に変えてくれます。