自動な機械ともたらされる希薄化


早いもので3月も後1週間を残すのみ、年度末で多忙な日々を送られている方も多いのではないかと思います。幸か不幸か私が勤務する会社では3月が年度末ではありませんので、通常通りの業務を執り行っていますが、来月のDigital Asset Exchangeサービス「Vojkru(ボイクル)」のサービスインに向けてシステムや周辺作業の最終調整に追われています。

さて、暖かい石垣島から東京に戻り寒さに震えていたのが僅か一ヶ月少し前とは思えない程に、日に日に暖かくなって来ていますが、やがて来る四月を迎えつつ一つだけ憂鬱と言うか残念に思えてならない事があります。

実は、先月末に訪問した広島からJRを使って岩国を往復したのですが、広島駅で大変新鮮なサプライズに出会いました。何と、最近の東京では当たり前になってしまった自動改札ではなく、昔の様な鋏ではありませんでしたが新幹線車内の検札で使われるスタンプタイプのものを若いお嬢さんが改札で押してくれるのです。京都府の亀岡と言う町から電車で山を越えて京都市内の高校に通っていた頃に、京都においても既に一部の私鉄では自動改札の導入が始まっていましたので、それから起算したとしても実に25年以上の長きに渡って手動の改札が続いていたと言う事になります。
そして大変残念な事に、地元のCATV局の方にそのサプライズの事を伝えた所、4月から自動改札になるという事を聞いたのでした。

その事が原因で、もともと普段から考える事の多い「自動」と言う事について再度考え込んでしまっているのです。

都市部における人の往来は大変凄まじいものなので、混雑を緩和するという観点からも自動改札は不可欠なものである事は理解出来ます。但し、これはどういう意味の自動なのでしょうか。

自動改札では、切符を正確にスロットに投入し、そして通過しながら(歩きながら)出口で引き抜かねばなりません。風が強い時にはまれに切符が飛ばされたり、札幌の地下鉄では表裏が違うとのアラームが鳴り、更に最悪なケースでは磁気異常か何か原因は分りませんがばたんと扉が閉まってアラームが鳴り挙句の果てに係員がいる所まで行けと言われます。そう、自動なのは駅員なのです。
自動乗り越し精算機の場合はどうでしょう。切符を入れて表示されるお金を投入し、出てくる新しい切符を手に、また自動改札を通る。有人の改札通路で小銭を支払って通る場合と比べて明らかに手間も多く所要時間も長いと思います。自動乗り越し精算機の前に人が並んでいるのを見ると実にうんざりとさせられます。
煙草の自動販売機。何故に地面い這いつくばる様な、大変屈辱的な姿勢になって下の出口から煙草を取り出さなければならないのでしょう?しかもその間は大変無防備でもありますし、足下に置いた荷物から目が離れるという危険性さえもあります。
少し折れ曲がった札が自動販売機から拒絶される事も多いですが、自分で札を汚したり曲げたりしていないと言う前提で考えれば、あれほど客を馬鹿にした機械もないでしょう。少しだけ「あかんべー」に似ています。

例えばキャッシュディスペンサの様に銀行の窓口までわざわざ出向かなくとも現金をおろせる等、大変便利で有り難い「自動」の機械もありますが、しかしながら、そもそもこれらの機械が対人関係を在り方をも変えてしまっていると言うのは考え過ぎでしょうか。
広島駅で、改札のお嬢さんがにっこりと笑顔を返してくれた、そんな事でさえも印象に残ってしまう程、対人関係が実に稀薄な現代に生きているんだなあ、と思ったりもします。

数年前に務めていた会社で執筆したニュースレターの記事を、最後にご紹介させて頂きます。

---ここから---
さて、年末年始と言えば親戚が集まる機会が最も多い時期だと思いますが、ところで「はとこ」どうしの関係を即答出来る方はいらっしゃいますか?
答えは、自分の子供と自分の従兄弟の子供との関係を表す言葉で、再従兄弟と同義語です。ちなみに、自分の子供と自分の従兄弟の関係は、従兄弟半或いは従兄弟違と呼ばれます。
そして「はとこ」は祖父母が同じですので、お互いに6親等の関係になる訳です。
とある親戚の集まりでのこと、私の伯母(=父母の姉、父母の妹は叔母)が「はとこ以上離れると他人の様になってしまうものだ」と言ったのを聞き、何の脈略もありませんが最近耳にすることの多いS・ミルグラムの「六次の隔たり」を連想してしまいました。

彼が1967年に発表した「六次の隔たり」は、相互接続性を説明する概念の中核をなすものですが、これはおよそ5.5人を介すことによって誰とでもつながることが出来ると言うものです。 6人知り合いを辿っていけば、大統領につながると言う例を聞かれた方も多いのではないでしょうか?そう、ソーシャルネットワークサービス(SNS)の説明の時にです。芸能人やミュージシャンで実験を行ったテレビ番組の企画もあった様に記憶しています。

--- 中略 ---

核家族化によってますます疎遠になり希薄化してしまう親族の関係と、一方ではSNSによってもたらされる新しいコミュニティ、六次で隔たってしまうのか六次しか隔たっていないと解釈するのか、いずれにせよ人間は、生活を送る上では常に誰かとつながっているということの安心感を求めるものなのかもしれません。

日々繰り返される出会いを大切にしたいと思う、新春の一日でした。

写真:仕事の先輩から是非にと勧められた「地域再生の条件(本間義人著、岩波新書)」を早速購入して読み耽っています。子供の頃に遊んだ町並みの移り変わりがまざまざと走馬灯の様に蘇ってきました。となりは衝動買いをした「甦る海上の道・日本と琉球谷川健一著、文春新書)」。本のタスキには何とサバニの写真が使われていました。

地域再生の条件 (岩波新書)

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