CMの価値と頑張れRSS


その昔、私が子供の頃の我が家は決して金銭的に裕福な家庭では有りませんでしたので、もしかすると既に世の中にはビデオデッキなるものが誕生していたのかもしれませんが、我が家ではやっとテレビ画面に色がついたと喜んでいたものです。ましてや将来のDVDビデオの登場など想像だに出来なかった子供の私は、従ってテレビで流れる映像はその場限りのものであり、見逃した番組は私にとっては永遠に失われたのと同じ事でした。

そんな私が、今でも子供と訪れたおもちゃ屋の模型コーナで「宇宙戦艦ヤマト」のプラモデルを見る度に思い出す事が有ります。今思えば他にいくらでもやり方はあったろうに、何と宇宙戦艦ヤマトのテレビ放送を私は“録音”したのです。テレビの前にモノラルのカセットテープレコーダを置き、他の家族には「頼むから喋らないでくれ、台所の音もうるさい」との無理難題をいい、勿論私は終始無言でテレビの前で固まっていました。イスカンダルに地球の運命を背負って旅をする宇宙戦艦ヤマトのドラマにハラハラドキドキしつつも、それと同じ位に余計な音が録音されないかとハラハラドキドキしつつの30分間だったのです。そうして録音したテープを何度聞いたか、と言う疑問はさておき、その当時の私の最大の敵はCM。私の「宇宙戦艦ヤマト」ライブラリに、当時の私にとって全く興味がないCMが入り込む事を許せなかった私は、放送の半ばで入るCMをカットする(つまり何も足さずに何も引かずに正確に一旦録音を止めて再度再開する)時が最も緊張する時間なのでした.....。

さて、あっという間に時は数十年も流れ、宇宙戦艦をあきらめて平和の船「サバニ」に乗り換えた私は、いよいよ今年のレースの下打合せと練習の為の久しぶりの石垣行きを来週に控えている訳ですが、そんな私には常日頃からちょっとした疑問に感じている事が有ります。それは、昔々は最大の敵だったはずのCMの事です。

例えば、旅行でも出張でも良いのですが、数日後に訪問する事が確実な遠隔地のCMを何故見る事が出来ないのでしょうか?そういうニーズは全然ないのでしょうか?CMは何処に行くか何を食べるかといった旅のプランを練ったりする時には非常に有益な情報になる筈だと思いますし、またCMに限らずとも、現地のローカルニュースを始めとするいわゆるCATV局が自主制作するコミュニティチャンネル等は、普段の思考の何割かをその現地の事で占められてしまっている私の様な人間にとっては大変価値があるものだと思います。都会で働く人たちが故郷を思う場合にも同じ事が当てはまるはずです。琉球大学時代の同級生の1人は、東京の会社に勤めだしても沖縄から現地の新聞を取り寄せて読んでいましたが、このように個々が持っている本当のニーズは本来は決してマスメディアが選択した画一的なもので満たされるものではないのです。地方で映像制作に携わられている皆様には、日本のどこかでその映像を見たがっている人が必ずいる、という事を是非知って頂きたいと思います。

もちろんその実現には幾つかの法的・業界的な規制の問題もあるでしょうし、そもそも大企業でもない地方の店がCMを制作して配信する事には従来は無理があったでしょう。ただし、様々な技術の進歩によって、CMをつくる事自体に関しては、家庭用ビデオカメラを扱えない人も少なくなっているはずの今日では技術的にクリアすべきハードルは殆ど無くなったと言っても過言ではないのでしょうか。あとは、配信の問題。その中で足りないものの一つに、新聞やインターネットで見る事の出来るいわゆる番組表が挙げられるかも知れません。

そこを部分的に補完するもの、私はそれがRSSだと思うのです。Podcastingがまだまだ一般の視聴者に認知されていない頃、お話をさせて頂いた多くの方がPodcastingの事をiPodを始めとする携帯端末でインターネット上のコンテンツを視聴する事という風に間違った理解をしていましたが、私はPodcasting(つまりは音声や動画版のブログと広義では言い換える事が可能ですが)の本質はRSSによるコンテンツの新着及び概要情報の自動提供とパソコンへの自動ダウンロードではないかと考えています。携帯端末に関しては、ダウンロードされたコンテンツの一視聴形態がiPod等であるだけに過ぎません。
ちなみにRSSが余り普及していない(いなかった)原因の一つは、マイクロソフトインターネットエクスプローラがその機能を実装していなかったから、それは何故かと言うとRSSを最初に提唱したのがネットスケープ社だったからという話もあります。場合によっては迷惑メールの方が多く到着する事さえある電子メールに、RSSによる情報の流通の仕組みが置き換わる可能性があると言われているにもかかわらず、ハードルは意外な所にあったりするものです。

近々、旅行や出張に行かれる方は、是非自分のノートパソコンや携帯端末に現地の情報が満載されている、と想像してみて下さい。現地のCMやニュースを網羅したポータルから好みのチャンネルのRSSを登録し、通勤電車や移動中の機内で視聴する。旅の楽しみ方が変わるかもしれないと思われる方は少なくない筈です。

話は戻り、今ではすっかり歳をとって益々頑固になって来た私の父親ですが、今更ながらもよくも律儀に私の週一回の録音ミッションに協力してくれたと思います。下の兄弟たちにとっては何があっても喋ってはけない、週一回訪れる緊張の30分だったんだろうなと苦笑いです。
本当に永遠に失われたのは、あの頃の若く強い父親や優しい母親、そして幼い兄弟たちとの30分x26回分の時間と会話であった事は間違いなく、ただしその代わりに今でもほのぼのとした想い出を残してくれた昭和中期の家族の小さなエピソードに思いを馳せる、当時の私と同じ位の年齢の子供を持つ父親としての私でした。

写真:お恥ずかしながら、子供にDVD全集を買い与えた「未来少年コナン」と同様、いつまでも忘れる事の無いテレビアニメでした。でも後2〜3年早く産まれていたら見る事も無かったかもしれません。


2008年2月21日追記
このエントリーから1年以上が経ってしまいましたが、まだまだRSSが広く普及したとは言い難い状況が続いています。
そんな中、「RSSは心臓である」と断じた素晴しい記事を見つけました。