グループ放送とNarrowcasting


漠然としたアイデアを頭の中で暖めていた私がグループ放送と言う言葉を思いついたのは大体5年位前の事で、当時総務省の補正予算を元にした新規ビジネスのインキュベーションの為の助成金を申請する際に死にものぐるいで書類を作っていた頃でした。

決して昔の事を知っていると偉ぶる訳ではありませんが、琉球大学を卒業した私は「人様より勉強の量が足りない」と足りない頭で考えた結果、卒業論文でお世話になった東京大学の海洋研究所で論文を書きながらアメリカの大学院を受験するつもりでいました。1989〜1990年頃の事だと思います。琉球大学時代は、N88BasicやFortran77で華麗にプログラミングを行なう先輩や同級生たちと違って、一升瓶を車座で囲んで人生論を語る方が性にあっていた私は、その海洋研究所で衝撃的な経験をする事になります。
といっても世紀の大発見をした訳ではなく、新しく素晴しい学説を思いついたと言う類の話でもなく、「talk」と「mail」というコマンドを知ったというただそれだけの事だったのですが、今でもその時の研究室の室温や窓から見える空模様が蘇ってくる程、激しく印象に残っている出来事です。研究室の端末にログインし、誰かに手伝ってもらいながら先ずゲートウェイを経由して何処か遠くにあるコンピュータにログインし、そこで今誰がログインしているか探し、その人にテキストベースではありますが何と話しかけるのです。そうすると、相手が“Hi! I’m talking to you from Hawaii.”とか言いながら答えてくれ、自己紹介をしたり探し物の資料の事を訪ねたりと、当時の私にとってはまるでSF(SciFi)のような事が目の前に展開していた訳です。ちなみに、talkはChatという形で今でも頻繁に国内海外を問わず利用していますし、mailに至っては説明の必要もありません。当時と違うのは、User Interfaceがグラフィカルになり画像や音声データのやり取りも可能になったと言う事だけです。

その時に、インターネットが今日の様に生活の一インフラとなってひろまり、IPの上で色々な学問やビジネスやサービスが展開されるようになる事を予見する商才を発揮する事も無いまま、それは一つの出来事として何年間も記憶の中にとどまっていたのですが、件の申請書作成の折に、テキストベースから始まった情報発信(つまり一般的に言うホームページ)が、JPGやGIFという静止画像の圧縮技術の発展とともに文字に絵が混ざる様になり、それに触発されてネットワークの帯域がどんどん広くなり、そしてついにストリーミングやMPEGという技術まで出て来たからには、「壁新聞の次は町内放送だろう、但しそれは例え規模が町内であっても地域的な制限は無い形で」との考えに至った訳です。もちろん、当時在職していたデジタル映像データベースシステムの会社でのメンバーとの大変有意義なディスカッションが貢献している部分は多いのですが、総務省への申請書はこの路線で行こうと決めたのでした。

ネットワーク型グループ放送と名付けたその枠組みは、同時にそれを実現する為の技術的且つ法的に必ず超えていかねればならぬ「メディアの民主化」というパラダイムも含んでいました。また、メディアの民主化は、手段でもあり同時に目的でもあるという二面性を併せ持つ事にも気づきました。少しややこしいですが強引に整理すると、グループ放送と言うニーズやシーズがあり、メディアの民主化によって導かれるコンテンツやノウハウの流通(交換と言った方がよいかもしれませんが)によって手段が現実のものとなり、実施されたグループ放送の普及や発展によって、だれもが民主化されたメディアを手に入れる、ということになるかもしれませんし、映像コンテンツがもつ素材と完パケ(完成した映像商品)の二つの性質や、これまでそしてこれからの使われ方をしっかり見極めない限りは民主化の実現がなされないかも知れません。

但し、いずれにせよ、この枠組みを実現する為に必要なインフラは、最近の○○業界が誘発しようとしているHi-Visionというキーワードに踊らされない限り、つまり家庭のDVビデオカメラや最高でも1Mbpsのクオリティを考えるのでさえあれば、特に日本に於いては十分に成熟しているのは明らかだと思います。

私の定義の中でグループ放送は、「その最小単位を恐らく家族とし、企業、地域、趣味やスポーツ、宗教団体等の一定の興味や価値観を共有するセグメントに対する、そのセグメントにしか有用でなく且つ一般の公衆放送網では流せないコンテンツの流通であり、必ずしもTV放送の様なリアルタイム性を必要としない変わりにCGM(コンシューマが作るメディア、例えばコンテンツに関するSNSのようなもの)に起因する情報交換が伴うもの」、とでも言ったら良いでしょうか。
2年程前から欠かさず視聴している、非関西圏(勿論そのような制限がある訳ではありませんが)への阪神タイガースファンに対する試合映像のリアルタイム・オンデマンド配信等は、実際に有料会員の獲得を伴ったグループ放送の良い例だと思います。500Kbpsにも満たないストリーミング映像ではありますが、関東に住み阪神戦のテレビ中継を見る事が出来ない私にとってはまるで夢の様に有難い放送です。

先日、昔から大変お世話になっているビジネスの大先輩と久しぶりにミーティングをさせて頂き、当社がこれから歩いて行く方向性に関する簡単なプレゼンの機会を得ました。私の話を一通り聞いて下さったその先輩は、「それはNarrowcastingだな。」と一言。「あっ、その通りだ」と思った私は、今後はグループ放送を海外の方に説明する際には是非その言葉を使わせて頂こうと思うと同時に、早速事務所に帰ってNarrowcastingで検索してみました。皆様も是非お試し下さい。

当時は、グループ交際?と嘲笑を買ったり、検索をしても殆どヒットする事のなかった「グループ放送」という言葉ですが、最近では数千件も検索で引っかかって来る様になりました。中には全く違った意味で使われているケースも多々ありますが、私と同じ様な観点でこの世界を発展させようと考えられている意見も散見され、少し嬉しく思うと同時に早くビジネスモデルを確立させたいと思う複雑な今日この頃でした。

写真:新年射会での一コマ。久しぶりの射会に緊張したとは思っていないのですが、矢が的に向けて上がり過ぎているのが良く判る典型的に駄目な「第三」直前の例です。案の定「引き分」けも「会」もこの調子で、結局矢所は的の随分上でした。2007年11月13日本郷ふじやま公園弓道場にて