プライベート・雑感

オガウエガイキハチムモモモン

故筑紫哲也氏の番組を見て涙したことがある。各国を歴訪した江戸末期の外国の外交官の記録の中に「この国の人々は、貧しくとも一様に礼儀正しく勤勉で、家々の鍵も掛っていない。何よりこれ程朗らかな子供の笑顔を初めて見た」との、日本に関する記述があっ…

朽ちゆく宝

友人から、那覇のホームセンターにサバニが置いてあるとの情報を貰った私は、早速仕事帰りに立ち寄ってみる。よく見ると件の舟はサバニではなく、大正時代に和船の長所も取り入れて考案された、奄美大島のアイノコだった。サバニは他の地域の海事文化に強い…

飽食の島

貧乏学生だった私にとっての当時の最高の贅沢は、辻にあったステーキハウスの定食と、海人修行をしていた辺戸名の食堂のボリューム満点の肉そばだった。それから20数余年。カレーライスにライスを注文する程の食欲は遠い昔に失ってしまい、人様より少し多め…

ナイチャーの孤独

学生時代、与那原の酒場街で乱闘騒ぎを起こした後に、酒に潰れてスナックのソファーで寝てしまった事がある。翌朝一人目覚めた私は「戸締りして帰って下さい」との書き置きが添えられた鍵を目にして驚いたものだ。若気の至りの反省と共に、おおらかで優しい…

貝のアンダースー

干潮で露出した岩や石ころだらけの海岸を歩く。岩のあちこちには、ミナ(長崎の方言名、蜷貝やシッタカとも呼ぶ)が沢山へばりついていて、一つずつ持って来た篭に入れていく。やがて夕暮れを迎えようとする海辺に、穏やかに寄せる波の音と、老いた母や子供…

ミーカガンの泡

「ミーカガンが出来たよ、お風呂で試そう」と、下の娘との入浴。私の手には加工したてのミーカガン。レースと言う形でサバニに乗って6年、今までは興味がなかった木材の名前に触れる機会が増える。ミーカガンの材料はモンパノキ、サバニの船体は飫肥杉、フン…

帆掛けサバニの魅力

サバニ帆漕レースのスタートである慶良間の島々は、どんな言葉によっても表現し尽くせない美しい海を湛え、そのエメラルドや砂浜の白と対局をなす黒い船体や赤茶けた帆は、この世の物と思えない程の存在感をサバニに与えている。沖縄の海辺に普遍的に存在し…

地域のブランディング

サバニを通じて知り合った米国の船大工・和船研究家のブルック氏曰く、「数ある和船の中でも沖縄のサバニだけが、レクレーション用途で脚光を浴びる事によって復活を果たした幸運な舟である」と言う。日本各地で、乗り手も作り手も途絶えてしまった和船を見…

海辺の暮らし

縁あって海人写真家古谷千佳子氏の作品をじっくり見る機会を得た。氏が描き出す銀海の世界には紛れも無く、私の結婚式に参列する約束を果たさぬままこの世を去った、大好きだった漁師の祖父の姿があった。 少年時代の夏の殆どを過ごした長崎県壱岐での夜、祖…

変わりゆく街並

琉球大卒業後の十数年間は東京で仕事に忙殺され沖縄から遠ざかっていた為、その間の中南部の街の変わり様には後に随分と驚かされ、道の変化には戸惑わされた。かつて入り組んだ裏路地にあった鄙びたおでん屋がいつの間にか大きな通りに面していたり、学生時…

海洋民族の記憶

今日、久末五勇士による130Kmに及ぶ決死の航海の話を耳にする機会は余り無い。帆掛けサバニを求め現地の友人と宮古島を巡ったある夏の日、立寄った久松漁港で次の話を聞いた。 伊原間までの先人の航海が、言い伝えられた時間では不可能だとする意見に反論し…

ウチナージラー

大学での講義中、西語の教諭はどことなくラテン系な、英語の教諭は英国紳士的な風貌だと感じていた。環境や生活が人の顔を作るという事は多分にある事に違いない。沖縄を離れ四半世紀経た私の顔はナイチャーそのもの、県出身の彫の深い紅顔の美少年だった友…

金城哲夫

琉球大学を卒業した後も俄には沖縄を去り難く、辺戸名の漁師の親方に頼み込んで漁の修業に打ち込んだ時期がある。山原の港町での毎日はそれ自体がエキサイティングなダイビング漁を基調とし、且つ毎夜の熱く激しい酒の席。長崎の漁師だった祖父の影響から海…

沖縄そばと泡盛

琉球新報のコラム「南風」の寄稿で没にした原稿その2。未完成で少々荒削りですが...。 昔、法事で暫く那覇に滞在した後に横浜に連れ帰った長女が「横浜そば」を食べたいと言いだして笑わされた事がある。皆で一緒に食べた美味しい沖縄そばを横浜でも食べたか…

地域のブランディング

今の若い世代には想像もつかないだろうが、インターネットのブラウザで表示される情報は文字だけという時代があった。これはネットワーク通信に負荷をかけない為で、当時はメールに添えるサインも行数を控えていた程である。 それから四半世紀以上の時を経て…

久しぶりの自宅

約2ヶ月ぶりの帰宅。照れくさそうに私を見る次女の笑顔が印象的だ。息子とはかねてより約束をしていた、野球対決。フェンス代わりの土手やバックネットも備えられている近くのグランドで、ピッチャーとバッターに分かれての真剣勝負。打球が飛んだ方向によっ…

今年も宜しくお願い致します。

新年のご挨拶に代えて (今年は都合により、新年のご挨拶を控えさせて頂いております)これまで取り組んで来た事業の問題や、中でも某企業の社会的にも許されるはずのない、とある対応が原因で、止む無く訴訟に持ち込まざるを得なかった事などが背景にあった…

恵みの大地

春には土筆が顔を出すいつもの公園近くの傾斜の急な空き地で、食べるには少々育ち過ぎてしまったフキノトウを見つけたのは昨年の事。 排気ガスをまき散らしながら始終車が行き交う国道16号線からも数100mしか離れておらず、また住宅地の真ん中にあるそんな土…

瀬戸内の海

京都に住んでいた子供の頃には、家族ぐるみで行き来していた親戚の家に住む仲の良い従兄弟に会うために神戸に頻繁に訪れた。また、高校の終わりには親しくしてくれていた大阪の先輩とともに、坂本龍馬に憧れて高知を旅した事もある。 そんな限定された経験に…

写真に替えて

遠く左方眼下に目的地である神戸空港を臨みながら、姫路の手前上空付近で急旋回した機体は、登ってまだ間もない太陽に向かって徐々に正面に進路をとる形になってゆく。 陽の光に温められ始めた1月の冷えた瀬戸内海の水面は次第に靄を発生して、彼方に広がる…

廃盤CD、38,000枚

社団法人日本レコード協会による定価の最大70%OFFという廃盤セールがあるというので、会員登録をしてサイトを覗いてみた。セールのタイトルは、「レコードファン感謝祭」。中学生の頃にせっせと通った町のレコード店の懐かしい匂いを思い出しながら、今はウ…

祈りの日々と言葉のちから

景気の低迷の影響に沈んでいた昨年のある時期に、とある人から言われた言葉がある。 「人間の力だけでは何ともならない事がありますからね。」 その言葉は、私の背中に張り付いていた澱の多くを引き剥がし、同時に腹の底、丹田の気力をも瞬時に甦らせた。 そ…

サバニキチガイの年末

今年の後半、平均すると月に1回のペースで沖縄への出張を重ねた。 出張の主な目的は、地元のケーブルテレビ局との共同事業であり、且つ日本初の試みでもある視聴者や地域のスモールビジネス参加型の地域ポータルを立ち上げるというプロジェクトの準備である。…

優しい唄

iichikoのコマーシャルで耳にする事の多いビリーバンバンの唄にハマっている。 実際には、そのCMのオンエア回数はそれ程多くないにも関わらず単に私の耳に残る事が多いのという事かも知れない。 秋になるとここ数年、歳のせいか不況のせいか、昔ながらのテイ…

長雨

大学生活で沖縄を知り、嫁いだ妹やビジネスの関係で北海道を知った私は、誠に幼稚な発想ながら南から順に梅雨入りする日本列島を北上して梅雨を避ける生活をしたいと考えたり、同様に日本を移動しながら少しでも長く桜を見ていたい等と夢想した事がある。そ…

週刊雑感習慣

□10月23日(5):美味しいと評判の那覇市おもろまちの「けんばーのすばやー」に行く。 プレハブ風の店舗は前を通る度に目に留まっていたが、店に入るのは初めて。ちょっと前に行った「てぃーあんだー」同様に、ソーキ肉等の具が別皿に盛られているが、これはど…

週刊雑感習慣

□10月20日(4):サッカー日本代表の愛称に「SAMURAI BLUE」。サンスポ等。発表会場には唖然とした空気が流れたと言う。ドイツでのワールドカップの時の愛称の再利用と、ここでもエコロジーに配慮か。それにしてもドイツの時も含めて何故愛称がいつも英語なの…

久しぶりの虎ノ門 〜極めて高額、かたや無料

所用で何年か振りに特許庁を訪れる。人間の生命という最も大切な財産を預けるのでさえも民間の病院であるにもかかわらず、知的財産の管理が何故に国の機関である必要があるのか、という疑問の声を耳にした事を思い出しながら、相変わらずのものものしいセキ…

ビジネス界の礼儀作法

雑誌の記事をXML化する事によって、読者が興味がある連載や特集のみを購読できるようにしたり、場合によっては雑誌をまたがって記事を選択し読者独自のオンラインオリジナル雑誌に仕立て上げる、というサービスが出来ないか考えた事がある。後者の場合は記事…

防波堤には自己責任で

横浜港の防波堤や灯台での釣りが、規制される可能性があると言う。これらの場所は本来は立ち入り禁止であるが、これまで黙認されて来た経緯があり、釣り好きには勿論痛手だが渡し船業者にとっては死活問題であるらしい。 神奈川新聞のサイト「カナロコ」の記…